プロローグ
楽劇王リヒャルト・ワーグナーは、ベートーヴェンの第九響曲の真価を理解し、現在の演奏スタイルを確立した「指揮者」としても知られています。彼は、芸術に対する最高の評価として「ドイツ的な」という形容詞をしばしば用いていました。この考え方は後にヒトラーの思想に影響します。前回はイタリアの名指揮者トスカニーニを取り上げ、ニューヨークに活動拠点を移しファシズムに対する明快な姿勢を表した彼の生涯を紹介しました。一方、ライバルと目されていたドイツの名指揮者フルトヴェングラー(1886-1954)は、ドイツに留まりながら音楽活動を継続し、好むと好まざるに関わらず、ナチのプロパガンダに利用されました。大戦後、フルトヴェングラーはナチ協力者として、演奏活動停止処分を受けます。2年近く音楽活動を禁じられ、半年にわたる非ナチ化裁判の結果、裁判で無罪となり音楽界に復帰します。今回は、フルトヴェングラーとナチとの関係の真相と1947年5月の歴史的な復帰演奏会に臨むまでのエピソードを紹介します。
リハーサル風景 Brahms Symphony No.4 in 1948,London
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楽劇王リヒャルト・ワーグナーは、ベートーヴェンの第九響曲の真価を理解し、現在の演奏スタイルを確立した「指揮者」としても知られています。彼は、芸術に対する最高の評価として「ドイツ的な」という形容詞をしばしば用いていました。この考え方は後にヒトラーの思想に影響します。前回はイタリアの名指揮者トスカニーニを取り上げ、ニューヨークに活動拠点を移しファシズムに対する明快な姿勢を表した彼の生涯を紹介しました。一方、ライバルと目されていたドイツの名指揮者フルトヴェングラー(1886-1954)は、ドイツに留まりながら音楽活動を継続し、好むと好まざるに関わらず、ナチのプロパガンダに利用されました。大戦後、フルトヴェングラーはナチ協力者として、演奏活動停止処分を受けます。2年近く音楽活動を禁じられ、半年にわたる非ナチ化裁判の結果、裁判で無罪となり音楽界に復帰します。今回は、フルトヴェングラーとナチとの関係の真相と1947年5月の歴史的な復帰演奏会に臨むまでのエピソードを紹介します。
リハーサル風景 Brahms Symphony No.4 in 1948,London
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