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音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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社会情勢の急激な変化のなか、ハリウッドの桁違いの物量による娯楽作ばかり見た後、小津映画を久しぶりに観ると妙にほっとします。そして映画を観終わった後の爽快感を格別です。今回は、個人的に好きな小津映画を再度取り上げます(1回目はこちら)。小津組カメラマン厚田雄春氏に焦点を当て、エピソードを交えながら、小津映画の作風を要素別に少しばかり掘り下げてみたいと思います。

厚田雄春“キャメラ番”

小津監督より1歳少し年下の厚田カメラマンは、戦前の小津作品を担当した茂原カメラマンの助手に始まり、その後15年もの間、撮影助手を続けました。自らを「桃栗三年柿八年、厚田雄春十五年」と呼ぶように、この15年間に小津の作品の呼吸、つまり小津監督のように考え、感じ取り、そして観ることを体で会得しました。厚田本人は、カメラマンというより、小津監督の“キャメラバン”と称していました。キャメラ”番”とは、大事な機械にもしものことがないようにカメラの番をする係りです。つまり、小津組の“番”頭というべき存在だったと言い換えることもできます。

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近年、6月の秋葉原事件のような無差別殺人が増えています。犯人は、自分が負け犬と考え、世間に復讐したという見方があります。かつては規律厳しく軍隊式のように教育するスパルタ式が尊ばれる時期もありました。現在はほとんど死語のようになったスパルタ教育は、紀元前500年ごろの古代ギリシャの都市国家スパルタに由来します。ここでは、貧富の差もなく、犯罪もほとんどありません。生活は質素で階級闘争とも無縁な平和社会でした。
100万のペルシア帝国軍に、レオニダス王率いるわずか300人の軍勢が挑んだ伝説の戦いを映画化したのが「スリー・ハンドレッド」(2006)です。その最強の軍隊を生んだ今から2500年前の生活様式がどのように社会を形成したかを考察します。

レオニダス王
映画「スリー・ハンドレッド」(2006)
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1950年代から60年代にかけて、米国は古き良き時代と呼ばれる一方、1950年代前半に吹き荒れた赤狩りや1962年のキューバ危機、翌年のケネディ暗殺と暗い一面もありました。この時代に、世界中の男たちを虜にする稀有なオーラを持った女優が、彗星のように現れ、大統領以上の知名度を持ちながら、若干36歳の若さで謎の死を遂げます。8月5日に命日を迎えるマリリン・モンロー(1926 -1962、以下MM)は、世界中の男性ファンを魅了しただけでなく、彼女と出会った多くの男性を虜にする不思議な魔力を備えていました。映画のイメージとは違い、狡猾といえるほどの野心と知性に溢れ、読書家で政治好き、その一方、生涯孤独感を抱え続け、晩年は精神病に悩まされ、ドラッグ(主に睡眠薬)と酒に溺れました。また、MMは美しい肉体美を備えながら、精神的には生い立ちに起因する苦悩から逃れることが出来ず、その脆さが権力ある男たちを虜にしました。今回は、MMの数々の男性遍歴の中で、彼女を愛した著名な男性を軸に、マリリン・モンローの人生とも言える「生きた、愛した、苦悩した」を検証してみます。


マリリン・モンロー主演映画「お熱いのがお好き」で歌われる中でも白眉の「I'm Through With Love」が収録されたビデオクリップ
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2006年は年始から、ライブドアの粉飾決算疑惑や村上ファンドのインサイダー取引、そしてマンションの姉歯構造計算偽装と「ウソ」が世の中を席巻しました。ウソにも程度様々ありますが、害のあるウソ、害のないウソ、時と状況により人々を不幸にもすれば幸福にもします。

今も映画ベスト10に入る名画「風と共に去りぬ」は、ハリウッドでありがちな宣伝方法をとりながら、巧妙なプロモーションスタイルで誰も傷つけず偽装を成功させた知られざるエピソードがあります。一部の映画関係者で語られた内容ですが、その話しには真実味があります。そんな雑誌にも載っていない、ハリウッドの偽装プロモーションを紹介します。

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Vivien Leigh
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小津安二郎の映像美



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中学から高校生の頃、池袋や飯田橋、高田馬場など2本立てで入館料400円の名画座に3日に1度は通い、もっぱら洋画ばかり鑑賞しました。年100本ほどの映画は米国のみならず、仏蘭西、英国、独逸(漢字で書いた方がこのときの雰囲気に合います)の名作をキネマ旬報を頼りに漁るように観ていました。しかし、大学に入って邦画も見るようになり、黒澤を手始めに、溝口や小津の作品に触れるに従い、映画の見方もかなり変わっていきました。特に小津作品は日本美を初めて感じた日本映画で、当時夢中になったフェリーニとは、テイストもテーマもまったく違うにもかかわらず、大好きな監督となりました。小津独特の映像美のひとつにローアングルは有名ですが、カラー作品における色彩の妙は、彼のこだわりと美学を感じました。今でも洋画を観過ぎて食傷気味のときは、小津のLD(レーザーディスク)コレクション)を引っ張り出して、トーキーの代表作を再度鑑賞します。(小津監督は無声映画から活躍していたため、無声映画時代の名作も少なくありませんが、トーキー後もモノクロ作品、カラー作品とも多くの傑作を生んでいます。)

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