音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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もう1人のモーツァルト


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プロローグ


モーツァルトは妻コンスタンツェとの間に、結婚10年弱で6人もの子供を授かっていますが、内4人が生後まもなく死去しています。
あれほどの才能を持った人物の末裔が続いていれば、バッハの家系のように一族からもう一人の天才が出ただろうと考てしまいます。モーツァルトの生き残った子供たちのことは歴史上あまり語られませんが、調べると意外な生涯がわかって驚きました。個人的には、歴史に「もし」があれば、当時のプリマ・ドンナであったコンスタンツェの姉アイロジーナと結婚していたら、もう一人の天才モーツァルトが現れたかもしれないと期待してしまいます。


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フランク・シナトラの"MY WAY"



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フランク・シナトラがサインを求めてきたファンに対しても、機嫌が悪いときは暴力を振るったという彼のボディガードの手記を読んだとき、私の前の会社の上司(社長)を思い出しました。前上司は暴力を振るうような人間ではありませんが、自分自身の名声を上げるために腐心して、会社の業務はほとんどしませんでした。雇われ社長であったため、4年ほどで“自己都合”の理由で解首されましたが、4年も居座ったお陰で、社内でまともな管理職の多くは会社を去っていました。業界でも名の通った人物で、優秀な経営者と見られていましたが、内ちから見た顔はまったく違い、自己保身と名声ばかりに気を取られていたようです。人は見かけに拠らないとは、よく言ったものですが、名声を得た人はそれを守る余り間違いを起こすものでしょうか?しかし、彼の場合は、その前の前の会社から変わっていないと聴いていましたが。



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Crazy for ガーシュイン !


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ジョージ・ガーシュインの音楽は、一度ハマってしまうと、旋律を少し聴いただけで鳥肌が立つほど聞き入ってしまいます。最初に魅せられたのはミュージカル映画「パリのアメリカ人」のフィナーレのバレーシーンに流れるオーケストラでした。その後オードリー・ヘップバーン主演の「パリの恋人」で歌われた数々の名曲でスタンダードに馴染み、フレッド・アステアの軽妙の歌に始まり、エラ・フィッツゲラルドのJAZZ盤までガーシュインソングを堪能しました。

劇団四季で日本発公演された「クレージー・フォー・ユー」の舞台と観た時、改めて音楽性のみならず、兄アイラ・ガーシュインの歌詞の旨さに驚きました。特にブロードウェーのオリジナルキャストのCDを手に入れたときは、韻を踏む洒落た歌詞の言葉遊びには、正直感服し、歌としてのレベルの高さを知りました。ガーシュイン兄弟は、才能の面では確かに天才肌ですが、ものづくりの上では職人肌の旨さを持ち合わせています。そんなガーシュイン・ミュージックの背景を知ると、音楽が生まれた必然性が少しわかると思います。


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小津安二郎の映像美



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中学から高校生の頃、池袋や飯田橋、高田馬場など2本立てで入館料400円の名画座に3日に1度は通い、もっぱら洋画ばかり鑑賞しました。年100本ほどの映画は米国のみならず、仏蘭西、英国、独逸(漢字で書いた方がこのときの雰囲気に合います)の名作をキネマ旬報を頼りに漁るように観ていました。しかし、大学に入って邦画も見るようになり、黒澤を手始めに、溝口や小津の作品に触れるに従い、映画の見方もかなり変わっていきました。特に小津作品は日本美を初めて感じた日本映画で、当時夢中になったフェリーニとは、テイストもテーマもまったく違うにもかかわらず、大好きな監督となりました。小津独特の映像美のひとつにローアングルは有名ですが、カラー作品における色彩の妙は、彼のこだわりと美学を感じました。今でも洋画を観過ぎて食傷気味のときは、小津のLD(レーザーディスク)コレクション)を引っ張り出して、トーキーの代表作を再度鑑賞します。(小津監督は無声映画から活躍していたため、無声映画時代の名作も少なくありませんが、トーキー後もモノクロ作品、カラー作品とも多くの傑作を生んでいます。)

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ビートルズとフィル・スペクター


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私はビートルズの解散後の世代ですが、やはり学生のころ一時ビートルズにハマりました。Let it beは何といってもメロディが素晴らしく、60年代の彼らの音楽とも一味違い、シュアーのカートリッジによる2チャンネルサウンドでアルバムを繰り返し聴いていました。しかし、「The long and widing road」の出だしにおいて、ポールのボーカルが突屈に始まるのには違和感を覚えていました。しかも、ポールはこのテイクを嫌っているという話も聞き、なぜこんば美しいバラードをと不思議に思っていました。フィル・スペクターのアレンジにより、解散の危機から1度は死にかけたアルバムが復活した裏話は後になって知りましたが、自分の音楽テイストがこのとき既にフィル・スペクター・サウンドにあったことは後ほど驚きました。


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フィル・スペクター


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フィル・スペクターのサウンドに最初に触れたのはビートルズの「Let it be」です。しかし、その時は彼のサウンドを意識せず、私なりの再発見は81年に日本で大ヒットした大滝詠一のアルバム「A Long Vacation」のサウンドの系譜に興味を持ってからです。当時は六本木のKento'sやLollipopに週末通い、オールディーズを生演奏で聴いていましたが、演奏されるなかで一番のお気に入りは「Be My Baby」でした。この曲だけは、他のオールディーズとは異なり、オールド・ファション・ソングの古さを感じない、新鮮さを放っていました。その理由が後に理解できましたが、Phil Spectorのアレンジによるマジックでした。


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エビータ


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先ごろ公開された映画「オペラ座の怪人」(2005年2月現在)は、アンドリュー・ロイド=ウエバー自らプロデューサーとして製作した作品で、観た人の評判も上々です。ファントムに対する賛否もありますが、もとより第一級の音楽を擁した作品が悪いわけではありません。
ウエバーのミュージカル作品として先にヒットを飛ばした映画が「エビータ」です。マドンナやアントニオ・バンデラスの主演が相まって、映画作品としても見ごたえがありました。サントラ盤も個人的にはミュージカルのロンドン版より好きですが、ややマドンナ色が濃いのが惜しいところです。

さて、ミュージカルの題材にされた「エビータ」ことエヴァ・ペロン、映画以上に、その一生はドラマチックです。

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ロータとフェリーニ




プロローグ

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大学生の時、都内の名画座によく通いましたが、フェリーニの「甘い生活=La Dolce Vita」(1960年度作品)を観た時は、その退廃的な現代ローマの生活に妙な共感と憧れを覚えました。しかし、それ以上に軽快でアンニュイなロータの音楽がいつまでも耳に残りました。早速レコードを買いに秋葉原の石丸レコードで探しましたが、既に廃盤。渋谷のスミヤというサントラ専門店で輸入盤見つけたときは感涙ものでした。それから何度このサントラを聴いたことでしょう。今聞いても色あせないロータの音楽は本物です。それ以来ニーノ・ロータのサントラ作品を求めてコレクションを増やしましたが、やはりフェリーニのロータ・ミュージックは他の監督のそれと一線を画しています。


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夭逝したスコット・ラファロ伝


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プロローグ
高校1年生の時、まだJazzを聞き始めて間もない頃でしたが、オスカー・ピータソンの軽快な演奏に聴きなれた耳で、Bill Evansの名作「Explorations」の1曲目「イスラエル」をレコード針から聞いたとき、なんと美しいJAZZだろうと感銘した記憶が鮮明に残っています。特にベースがピアノ同様に「歌う」演奏スタイルは、ベースが奏でるメロディを口ずさむまで聴いても飽きませんでした。Evansと言えば、「Waltz for Debby」に最も人気が高いですが、私にとっては未だに「イスラエル」を超える演奏はありません。既にレコードは磨り減り、その後CDで演奏を聞き続けていますが、もし存在するならば、このRiverside盤の「イスラエル」のテイク2を聞いてみたいものです。


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