プロローグ
個人的に好きなサントラ盤で『パリの恋人』(Funny face)があります。ガーシュインの名曲がちりばめられた選曲も魅力ですが、オードリー・ヘップバーンの歌もなかなか味があります。
オードリー・ヘップバーンの歌声は映画『ティファニーで朝食を』で見せた“ムーンリバー”からもわかるように鼻にかかった線の細い歌声です。しかし愛嬌があり、決して聞き苦しくありません。プロのような音域や声量を持っているわけでなく、映画で披露するには実力不足は明らかですが、何故か彼女は自ら生涯3度映画で歌をチャレンジしています。

個人的に好きなサントラ盤で『パリの恋人』(Funny face)があります。ガーシュインの名曲がちりばめられた選曲も魅力ですが、オードリー・ヘップバーンの歌もなかなか味があります。
オードリー・ヘップバーンの歌声は映画『ティファニーで朝食を』で見せた“ムーンリバー”からもわかるように鼻にかかった線の細い歌声です。しかし愛嬌があり、決して聞き苦しくありません。プロのような音域や声量を持っているわけでなく、映画で披露するには実力不足は明らかですが、何故か彼女は自ら生涯3度映画で歌をチャレンジしています。

妖精オードリー・ヘップバーンの登場
オードリーは英国人の父とオランダ貴族の娘である母との間にベルギーで誕生。両親の離婚後、母とオランダに移ったオードリーは叔父と共にここで第2次世界大戦中を過ごしますが、叔父もドイツ軍に殺害され、生活は苦しいものとなり栄養失調でやせ細っていました。終戦後、オードリーはバレリーナを夢見てロンドンのバレエスクールに入学するものの、ガリガリでしかも身長が高すぎてバレエを断念。夢を断たれたオードリーはモデルやコーラスガールなどの仕事を得て、映画の端役をもらいモナコでの撮影中に一人の女性に声をかけられます。「わたしのジジを見つけたわ」と叫んだその女性こそフランスの女流作家コレットだったのです。彼女はブロードウェイで上演される自分の舞台ミュージカル『ジジ』の主演女優を探していたのでした。主役ジジに大抜擢され、さらに『ジジ』の公演の前に、ロンドンで受けたフィルムテストによって『ローマの休日』の主役にも抜擢され、彗星の如く大スターに登りつめました。

2度の歌のチャレンジ
『ローマの休日』から4年後の1957年にオードリーは初のミュージカル映画に出演します。ガーシュインの名曲をちりばめた『パリの恋人』(Funny face)は、歌うというよりはダンスの名手フレッド・アステアに憧れていた彼女の夢の実現でした。監督に巨匠スタンリー ドーネン、衣装はもちろん、その後オードリーのファンションを長年にわたり担当するジバンシーでした。しかし、彼女の魅力を一層引き立てたのは、写真家リチャード・アベドンでした。この映画の原題「Funny face」はオードリーの個性的な美しさに対する形容でした。か細く、しなやかな肢体、妖精を思わせるファンタスティックな雰囲気、それを表現する言葉として”funny”という言葉が使われたのです。そして写真家リチャード・アベドンの見事な演出で、彼女の美を独特な写真技術で表現しました。

次に『ティファニーで朝食を』(1961年)で再度歌に挑戦しています。オードリーは主題歌「ムーンリバー」をギターを弾きながらバルコニーで歌って見せました。しかし、このシーンも試写の段階でパラマウント映画社長から「あの歌は削るべき」という意見が出されましたが、オードリーの猛烈な反対でカットを免れた経緯があります。
なぜオードリーはこの歌には拘ったのでしょうか?
作曲家ヘンリー・マンシーニが彼女の声域に合わせて先に曲を作り、ヒロインの生き方を流れる河と重ね合せた内容の詩を後から付けたと言われています。一時はボツになりかけたこの曲の利用を最後まで推したのはオードリーでした。彼女は「貧しい境遇で育った高級娼婦ホリーを演じるにあたり、私が女優としての大成するまでの苦労時代にホリーを重ねあわせて見ていた。そのおかげで不安を乗り越えることができた。」と後で語っています。

3度目はミュージカルの主役でチャレンジ
最後はミュージカル大作『マイ・フェア・レディ』(1964年)です。ジュリー・アンドリュースのブロードウェイ版で大ヒットした舞台の映画化としてオードリーに主演の話しがあがりました。誰もがジュリーの主演が当然と考えたのに、製作のワーナーブラザーズ社長は興行面を考慮して最初からオードリー起用を考えており(第2候補はエリザベス・テーラー)、他のキャストもオリジナルから大幅に変更を計画していました。
オードリーはニューヨークから歌のコーチを呼び寄せて5週間にわたってレッスン受けるほどの入れ込みようでしたが、最終的には『パリの恋人』で音域不足を露呈した結果、プロのボイス・アクター、マーニー・ニクソン(ウエストサイドストーリーでもマリヤ役も担当)により吹き替えられました。

しかも製作側が既に吹き替えを決定していたにもかかわらず、彼女の機嫌を取るために数曲の録音を許可し、吹き替えの件は最後まで伏せられていました。
冷たい批評とアカデミー賞の結果
完成後の作品は、批評家の評判も高く興行的にもその年の収入第一位になりましたが、歌を吹き替えられたオードリーに対するマスコミの反応は冷たく、批評家たちの評価も厳しものでした。映画は作品賞、主演男優賞を含め8部門を獲得しますが、オードリーは歌が吹き替えられたという理由からかノミネートさえされませんでした。そして、皮肉にもその年の主演女優賞にはジュリー・アンドリュースがディズニー映画『メリー・ポピンズ』で受賞しました。

オードリーは英国人の父とオランダ貴族の娘である母との間にベルギーで誕生。両親の離婚後、母とオランダに移ったオードリーは叔父と共にここで第2次世界大戦中を過ごしますが、叔父もドイツ軍に殺害され、生活は苦しいものとなり栄養失調でやせ細っていました。終戦後、オードリーはバレリーナを夢見てロンドンのバレエスクールに入学するものの、ガリガリでしかも身長が高すぎてバレエを断念。夢を断たれたオードリーはモデルやコーラスガールなどの仕事を得て、映画の端役をもらいモナコでの撮影中に一人の女性に声をかけられます。「わたしのジジを見つけたわ」と叫んだその女性こそフランスの女流作家コレットだったのです。彼女はブロードウェイで上演される自分の舞台ミュージカル『ジジ』の主演女優を探していたのでした。主役ジジに大抜擢され、さらに『ジジ』の公演の前に、ロンドンで受けたフィルムテストによって『ローマの休日』の主役にも抜擢され、彗星の如く大スターに登りつめました。

2度の歌のチャレンジ
『ローマの休日』から4年後の1957年にオードリーは初のミュージカル映画に出演します。ガーシュインの名曲をちりばめた『パリの恋人』(Funny face)は、歌うというよりはダンスの名手フレッド・アステアに憧れていた彼女の夢の実現でした。監督に巨匠スタンリー ドーネン、衣装はもちろん、その後オードリーのファンションを長年にわたり担当するジバンシーでした。しかし、彼女の魅力を一層引き立てたのは、写真家リチャード・アベドンでした。この映画の原題「Funny face」はオードリーの個性的な美しさに対する形容でした。か細く、しなやかな肢体、妖精を思わせるファンタスティックな雰囲気、それを表現する言葉として”funny”という言葉が使われたのです。そして写真家リチャード・アベドンの見事な演出で、彼女の美を独特な写真技術で表現しました。

次に『ティファニーで朝食を』(1961年)で再度歌に挑戦しています。オードリーは主題歌「ムーンリバー」をギターを弾きながらバルコニーで歌って見せました。しかし、このシーンも試写の段階でパラマウント映画社長から「あの歌は削るべき」という意見が出されましたが、オードリーの猛烈な反対でカットを免れた経緯があります。
なぜオードリーはこの歌には拘ったのでしょうか?
作曲家ヘンリー・マンシーニが彼女の声域に合わせて先に曲を作り、ヒロインの生き方を流れる河と重ね合せた内容の詩を後から付けたと言われています。一時はボツになりかけたこの曲の利用を最後まで推したのはオードリーでした。彼女は「貧しい境遇で育った高級娼婦ホリーを演じるにあたり、私が女優としての大成するまでの苦労時代にホリーを重ねあわせて見ていた。そのおかげで不安を乗り越えることができた。」と後で語っています。

3度目はミュージカルの主役でチャレンジ
最後はミュージカル大作『マイ・フェア・レディ』(1964年)です。ジュリー・アンドリュースのブロードウェイ版で大ヒットした舞台の映画化としてオードリーに主演の話しがあがりました。誰もがジュリーの主演が当然と考えたのに、製作のワーナーブラザーズ社長は興行面を考慮して最初からオードリー起用を考えており(第2候補はエリザベス・テーラー)、他のキャストもオリジナルから大幅に変更を計画していました。
オードリーはニューヨークから歌のコーチを呼び寄せて5週間にわたってレッスン受けるほどの入れ込みようでしたが、最終的には『パリの恋人』で音域不足を露呈した結果、プロのボイス・アクター、マーニー・ニクソン(ウエストサイドストーリーでもマリヤ役も担当)により吹き替えられました。

しかも製作側が既に吹き替えを決定していたにもかかわらず、彼女の機嫌を取るために数曲の録音を許可し、吹き替えの件は最後まで伏せられていました。
冷たい批評とアカデミー賞の結果
完成後の作品は、批評家の評判も高く興行的にもその年の収入第一位になりましたが、歌を吹き替えられたオードリーに対するマスコミの反応は冷たく、批評家たちの評価も厳しものでした。映画は作品賞、主演男優賞を含め8部門を獲得しますが、オードリーは歌が吹き替えられたという理由からかノミネートさえされませんでした。そして、皮肉にもその年の主演女優賞にはジュリー・アンドリュースがディズニー映画『メリー・ポピンズ』で受賞しました。

スポンサーサイト
このコメントは管理者の承認待ちです
このコメントは管理人のみ閲覧できます
「マイ・フェア・レディ」で、オードリー・ヘップバーンが主演したのは、ジュリー・アンドリュースが急病かなんかでの代役だったのか、と思っていました。が、こういう事情だったのですね。
「マイ・フェア・レディ」ですが、私は、なにかのTV番組で、吹き替えられる前のオードリーの歌が放送されたのを聴いたことがあります。たしかにヘタではない、とは思ったのですが、ミュージカル向きではない、という感想でした。
「マイ・フェア・レディ」でオードリーが主演女優賞を取れなくて、「メリー・ポピンズ」でジュリー・アンドリュースが取ったのは、イジメ以外のなにものでもないですよね。オードリーは、「ローマの休日」でのデビューの経緯といい、強運の持ち主だと思うのですが、どうも映画関係者における評価は低い、というか、イジメられたようなところがあると思います。