2つの“雨に唄えば”

プロローグ
10代の半ばの頃、銀座の映画館で「ザッツ・エンターテイメント」を観たときは。こんな優雅な映画が嘗てはあったのだといたく感動しました。当時はお金をかけたスペクタル映画が多く、古きよきアメリカ映画はTV番組でたまに見ていましたが、ミュージカルはほとんど放映されていませんでした。年老いたフレッド・アステアがホストとして登場して、最初は何者か?と思って見ていましたが、映画を見た後に、彼が俳優であると同時に偉大なシンガーであることを知り、それ以降往年の名スターが歌うミュージカルのサントラ盤に夢中になりました。


プロローグ
10代の半ばの頃、銀座の映画館で「ザッツ・エンターテイメント」を観たときは。こんな優雅な映画が嘗てはあったのだといたく感動しました。当時はお金をかけたスペクタル映画が多く、古きよきアメリカ映画はTV番組でたまに見ていましたが、ミュージカルはほとんど放映されていませんでした。年老いたフレッド・アステアがホストとして登場して、最初は何者か?と思って見ていましたが、映画を見た後に、彼が俳優であると同時に偉大なシンガーであることを知り、それ以降往年の名スターが歌うミュージカルのサントラ盤に夢中になりました。

さて、雨を唄ったスタンダード曲の中でも人気、認知度ともトップになるのはAFIアメリカ映画主題歌ベスト100でも第3位に選ばれた「雨に唄えば」です。同名映画の中で、降り注ぐ雨の中、傘を器用に振り回しながら恋の喜びを表現するシーンで歌われ、映画史上の名シーンとして知られます。しかし、イメージが固定されたような名曲も演出の仕方で、全く異なる世界が開けます。恋の歌が別の作家によって果たしてどのように演出されたか、対照的な映画における使われ方を紹介します。

名曲「雨に唄えば」の誕生
「雨に唄えば」は、1920年代末のハリウッドを舞台に、スター俳優と舞台ダンサーとの恋物語を中心に、無声映画からトーキーに移りかわる時代の混乱ぶりを数々のエピソードを交えて描いた1952年度のミュージカル作品主題歌です。作品製作の発想時点から「音楽」に重点を置き、「ダンス」によって、物語を演出するという従来とは違うコンセプトからこのミュージカルは生まれました。これにはMGMが東のブロードウェイに対抗し、西のハリウッド・ミュージカルを創り上げようとする意気込みから従来の発想を変えた経緯があります。また、名曲「雨に唄えば」は主役のジーン・ケリーによって初めて歌われたのではなく、1929年の「ハリウッドレビュー」の中で踊りを交えて歌われたのが最初です。特にヒットしなかったナンバーが、スタンダードにまで定着したのはジーン・ケリーのこの曲に対する映画上の演出が秀逸だったからです。

実際、彼は「雨に唄えば」のシーンで、街角セットで何度ものリハーサルを行い、傘、帽子やタップシューズの小道具を使い、計算し尽くされた動きとカメラワークで見事に主人公の気持ちを雨に打たれながら歌っています。監督はジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン、この時ドーネンはまだ20代の若さでした。この才気ある共同監督コンビは、3年前にフランク・シナトラ主演の作品「踊る大紐育」から始まりました。この作品は封切当時「タイム」誌に「数年来最良のミュージカル」と評されました。2人の才能により誕生した「雨に唄えば」は、その後数多くアーティストに歌われMGMの看板曲となりました。

もうひとつの「雨に唄えば」
「2001年宇宙の旅」の監督スタンリー・キューブリックは映画音楽の使い方では定評のある人です。この作品ではオリジナルのスコアを作曲家アレックス・ノースに依頼し完成したにもかかわらず、編集後になってノースのスコアを使わず、既成曲の中から自らの意図に合うメロディを抽出して絵に合わせて構成し直しました。有名な宇宙シーンで使われたワルツ「美しく青きドナウ」も監督のイマジネーションから生まれた映像と音楽の調和でした。
次作品「時計じかけのオレンジ」でも大胆な既成曲の使い方を行い、独特な音楽効果を各シーンにもたらしました。映画は近未来の極度に治安が悪いロンドンを舞台にして、ややSF的な指向で無軌道な少年アレックスの暴力沙汰を軸に話は進みます。その中で使われる曲はベートーヴェンの第9交響曲の「合唱」であったり、ロッシーニの「ウィリアム・テル」であったりと、お得意なクラシックの名曲を効果的に使っています。

その中でももっとも異質であったの「雨に唄えば」の使われ方でした。アレックスはこの曲を歌いながら、ギャング仲間と押し入った家の作家夫婦に殴る蹴るの暴力放題行います。
このシーンにおいて、ジーン・ケリーが“幸福感”を歌った「雨に唄えば」がアレックスの暴力行為の“歓喜”にも調和しているのは不思議な驚きです。
このように全く異質のものを重ねて相乗効果を出しているため、キューブリックの選曲の目には再度驚かされるかもしれません。しかし、「雨に唄えば」を実際に選曲したのは、このアレックスを演じた俳優“マルカム・マクダウェル”でした。
何故か? それは彼が監督に、この暴力シーンに合わせてフルコーラスで歌える歌は「雨に唄えば」しかないと言ったからです。こんな偶然から本家ミュージカルの名シーンとは別の忘れられない“銘シーン“が「雨に唄えば」には生まれたのです。


名曲「雨に唄えば」の誕生
「雨に唄えば」は、1920年代末のハリウッドを舞台に、スター俳優と舞台ダンサーとの恋物語を中心に、無声映画からトーキーに移りかわる時代の混乱ぶりを数々のエピソードを交えて描いた1952年度のミュージカル作品主題歌です。作品製作の発想時点から「音楽」に重点を置き、「ダンス」によって、物語を演出するという従来とは違うコンセプトからこのミュージカルは生まれました。これにはMGMが東のブロードウェイに対抗し、西のハリウッド・ミュージカルを創り上げようとする意気込みから従来の発想を変えた経緯があります。また、名曲「雨に唄えば」は主役のジーン・ケリーによって初めて歌われたのではなく、1929年の「ハリウッドレビュー」の中で踊りを交えて歌われたのが最初です。特にヒットしなかったナンバーが、スタンダードにまで定着したのはジーン・ケリーのこの曲に対する映画上の演出が秀逸だったからです。

実際、彼は「雨に唄えば」のシーンで、街角セットで何度ものリハーサルを行い、傘、帽子やタップシューズの小道具を使い、計算し尽くされた動きとカメラワークで見事に主人公の気持ちを雨に打たれながら歌っています。監督はジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン、この時ドーネンはまだ20代の若さでした。この才気ある共同監督コンビは、3年前にフランク・シナトラ主演の作品「踊る大紐育」から始まりました。この作品は封切当時「タイム」誌に「数年来最良のミュージカル」と評されました。2人の才能により誕生した「雨に唄えば」は、その後数多くアーティストに歌われMGMの看板曲となりました。

もうひとつの「雨に唄えば」
「2001年宇宙の旅」の監督スタンリー・キューブリックは映画音楽の使い方では定評のある人です。この作品ではオリジナルのスコアを作曲家アレックス・ノースに依頼し完成したにもかかわらず、編集後になってノースのスコアを使わず、既成曲の中から自らの意図に合うメロディを抽出して絵に合わせて構成し直しました。有名な宇宙シーンで使われたワルツ「美しく青きドナウ」も監督のイマジネーションから生まれた映像と音楽の調和でした。
次作品「時計じかけのオレンジ」でも大胆な既成曲の使い方を行い、独特な音楽効果を各シーンにもたらしました。映画は近未来の極度に治安が悪いロンドンを舞台にして、ややSF的な指向で無軌道な少年アレックスの暴力沙汰を軸に話は進みます。その中で使われる曲はベートーヴェンの第9交響曲の「合唱」であったり、ロッシーニの「ウィリアム・テル」であったりと、お得意なクラシックの名曲を効果的に使っています。

その中でももっとも異質であったの「雨に唄えば」の使われ方でした。アレックスはこの曲を歌いながら、ギャング仲間と押し入った家の作家夫婦に殴る蹴るの暴力放題行います。
このシーンにおいて、ジーン・ケリーが“幸福感”を歌った「雨に唄えば」がアレックスの暴力行為の“歓喜”にも調和しているのは不思議な驚きです。
このように全く異質のものを重ねて相乗効果を出しているため、キューブリックの選曲の目には再度驚かされるかもしれません。しかし、「雨に唄えば」を実際に選曲したのは、このアレックスを演じた俳優“マルカム・マクダウェル”でした。
何故か? それは彼が監督に、この暴力シーンに合わせてフルコーラスで歌える歌は「雨に唄えば」しかないと言ったからです。こんな偶然から本家ミュージカルの名シーンとは別の忘れられない“銘シーン“が「雨に唄えば」には生まれたのです。

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