音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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モーツァルトの暗殺説



プロローグ
モーツァルトとの出会いは私がまだ高校生のころでした。当時はJAZZに夢中で、特にBill Evansがお気に入りでした。しかし、小林秀雄の「モォツァルト」を読み、シンフォニー40番ト短調に興味が湧いてから、当時1か月分のお小遣いに等しい高価なレコードを買いまくりました。足りない分は、カセットテープによるNHKのFMエアチェック録音で、新譜の演奏から名盤まで聴いていました。平行してモーツァルトの伝記や研究書を読んだその当時の記憶が、数十年を経て、モーツァルトに関するエピソードの知識となっています。人間臭いモーツァルトは音楽とは別の次元でとても魅力的です。他にもいくつかのエピソードを既に「音楽の冗談」サイトで紹介していますので、今後本BLOGでも少し手を加えながら再紹介していきます。


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なぜ暗殺説が今だ語られるのか?
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*文豪プーシキンの肖像
ウィーンの聖マルクス墓地でモーツァルトの墓がどこにあるかはまだ判明していないのは事実ですが、同時に1991年12月5日の葬儀の日は、嵐が吹くとても寒い冬日であったという点、会葬者がとても少人数でしかも埋葬前に帰ったとする点に関しては疑問が多数指摘されています。当時の気象データや残されたウィーン住民の日記から推測する天候は、摂氏3度前後の弱い東風がふく穏やかな冬日です。嵐が来ているとされる後年の解釈は、幾分にもモーツァルトの悲劇性を誇張した副産物です。また、会葬者が埋葬前に帰宅した事実は、当時の死者埋葬の法律として、会葬者が墓地まで遺体に付き添うことが許されなかった事実を考えると十分に理解できます。加えて、妻コンスタンツェ他数人の縁故者以外の参列が無かったとされる話も、後年モーツァルトの悲劇的ストーリーを語る上で創造された産物だと考えられます。実際にはその後の研究・推定により、サリエリや弟子ジースマイヤー他20人以上の縁故者の参列者があったと推測できます。葬儀でさえ話が一人歩きするくらいですから、彼の死因も死後直後から様々な諸説が出回りました。ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」(1984年に映画化)では、モーツァルトのライバルと見られたウィーン宮廷楽長のサリエリ(イタリア人)に、モーツァルト毒殺説を語らせています。暗殺説は他に秘密結社フリーメーソンによる暗殺説、20世紀に入ってナチス党が主張したユダヤ人暗殺説、モーツァルトの教え子(既婚女性)の夫による殺害説まで様々に飛び交っており、それぞれもっともな根拠が挙げられています。例えばフリーメーソン説は、モーツァルトが反フリーメーソンの秘密結社「グロッテ」を組織化したための報復とか、教え子の夫の殺害説は、モーツァルトとの浮気が原因で、死後の翌日その夫が妻を傷つけて自害した点が根拠となっています。どれも一見は論理的な仮説になっていますが、状況証拠だけで確定するには無理があります。これらの推測の発端はいくつかの要因に集約されます。1つはモーツァルト自身が「自分は毒を盛られたらしい」と語ったという点、2つめはモーツァルトの死亡記事を報じた音楽週刊誌が、約3週間後に「死後モーツァルトの体が腫れていたため、毒殺の噂がある」と再度記事にした点、そして最後にこれらの噂を踏まえてロシアの文豪プーシキンが1830年に「モーツァルトとサリエリ」という戯曲を発表した点。これらの不確定要素がモーツァルトを愛する人々の研究対象となり、様々な珍説を生んだのでした。


サリエリの暗殺説は本当か?
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*サリエリの肖像

サリエリが暗殺したという仮説は「アマデウス」のストーリーの基幹となっているため、今日では広く信じられているかも知りませんが、その大元の根拠となったのは、プーシキンが戯曲の下敷きとしたサリエリ生前当時の噂です。
 聴力をなくしていたベートーヴェンが日常使っていた有名な〈会話帳〉のなかにも、この噂を書き込んでいることから、サリエリの毒殺説は1820年代のウィーン社交界では広く信じられていたことがわかります。例えば、ベートーヴェンの第九演奏会の会場で、サリエリへの中傷ビラがばらまかれるという事件まで起こっています。そのためサリエリは病床であるにもかかわらず、自分の無実を宣誓した署名入りの文書を公開するはめに陥っています。さらに映画でも登場したように、サリエリの「告解」が記録された文書が、ウィーンのとある教会の書庫に保管されているという噂が存在します。教会側は職務上の理由により、その公開を控えているとするため真偽はわかりませんが、毒殺の罪に関する「告解」だと言われています。


モーツァルトの病歴
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ではここで、サリエリの暗殺説はひとまず置いておいて、当時の資料から読み取れるモーツァルトの死亡原因について触れたいと思います。
 モーツァルトは1756年の誕生から生涯を終える年の1791年秋頃までは、チフスや天然痘など当時流行した大きな病気にも遭遇せず、いたって健康体でした。9月ごろまで元気であったモーツァルトが12月に入り、急に病床に臥すことから様々な死亡説が出る一因となったのですが、死亡時の所見を客観的に分析した場合、病死説の方に説得力があります。
 モーツァルトの最後を看取った2名の医師は著名な臨床医であったのですが、残念ながら直接的な死因を記録に残していませんでした。従ってその死体所見から医学的に分析したレポートが、最も信頼できる資料と考えられます。死後30数年たって、ローベスという医学博士が、2名の臨床医から直接所見を聞いて、モーツァルトの病名を判断しました。そこには毒殺の痕跡は全く発見できなかったとして、死因と考えられるのは急性の心臓と循環器系統の障害にあったと推測しました。30代半ばの若くして、急に死に至るほど体に障害をきたしたのは、彼の晩年の放蕩生活が大いなる原因と考えられます。映画でも多く語られていましたが、モーツァルトは愛妻家である一方、恋多き男性で、しかも夜遊びは大好きでした。仮に働き盛りの30代中ごろでも、毎晩飲酒と夜遊びに明け暮れていれば、どんな健康な人でもいつかは体が破綻します。


 水銀薬死亡説
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*コンスタンツェの肖像

最後に、モーツァルトの浮気性から、妻コンスタンツェの暗殺説と梅毒治療のため服用した水銀薬死亡説も、後年議論されました。つまるところ人気者であったためゆえ、日ごろの不摂生がたたったと解釈すれば、私たちの現代社会に通じるところは大いにあると感じます。


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2005/04/14(木) 08:31:46 | | #[ 編集]
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サリエリとモーツァルト
 映画「アマデウス」ですっかり有名になったサリエリ。天才モーツァルトの才能に嫉妬をしての殺意。実際はどうだったのかな?と不思議に思ってネットを調べてみたらやはりサリエリに毒殺説は根拠がないということでした。こちらのサイトに詳細な解説があります。モーツァル
2005/04/14(木) 08:32:33 | 日記と雑記
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