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音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

プロローグ

2006年は年始から、ライブドアの粉飾決算疑惑や村上ファンドのインサイダー取引、そしてマンションの姉歯構造計算偽装と「ウソ」が世の中を席巻しました。ウソにも程度様々ありますが、害のあるウソ、害のないウソ、時と状況により人々を不幸にもすれば幸福にもします。

今も映画ベスト10に入る名画「風と共に去りぬ」は、ハリウッドでありがちな宣伝方法をとりながら、巧妙なプロモーションスタイルで誰も傷つけず偽装を成功させた知られざるエピソードがあります。一部の映画関係者で語られた内容ですが、その話しには真実味があります。そんな雑誌にも載っていない、ハリウッドの偽装プロモーションを紹介します。

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Vivien Leigh
スカーレット・オハラ役の全米オーディション

「キングコング」やヒッチコック作品で有名なハリウッドの大物プロデューサー、デビッド・セルズニックの独立プロダクションが完成させた映画「風と共に去りぬ」(1939)は、全世界37ヶ国語以上に翻訳され、3,000万部以上売り上げたベストセラー小説を映画化した作品です。映画の完成まで3年の歳月を要し、8人の映画監督が関わり、使用されたフィルムは50万フィート(約152キロメートル/上映時間約92時間)にも及びました。

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映画「風と共に去りぬ」(1939)

レッド・バトラー役には、映画化以前からクラーク・ゲーブルが適役であると見られていましたので、ゲーブルはMGMの専属俳優のため、セルズニックはMGMに世界配給権を譲り、純益の50%を支払うという厳しい条件を呑んでゲーブルを借り受けました。

一方、ヒロインのスカーレット・オハラ役は、なかなか候補者が見つからず、米国全土で候補者探しのオーディションが展開されました。主人公のスカーレット・オハラ探しは“スカーレット・フィーバー”と呼ばれたほどアメリカ全土で行われ、14歳以上の全てのハリウッド女優がスカーレット役に名乗りをあげるほどでした。その中にはキャサリン・ヘップバーンのような大物女優も混じっていました。彼女が「この役は私のために書かれたようだわ」と自信たっぷりにセルズニックにアピールしたのに対し、「レッド・バトラーが10年間あなたを追い回すとはとても思えない。」と返したエピソードは有名です。

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ヴィヴィアン・リーのオーディション

2年をかけて全米に繰り広げられた候補者探しのキャンペーンでは、スカーレット役の総応募者数は1,400人、その中でスクリーン・テストを受けた数は90人、テストに使用したフィルムは5万5,000フィート(約10時間分)と、途方もないものでした。最終的にスカーレット役には、「嵐が丘」(1939)を撮影中だった恋人サー・ローレンス・オリビエ(シェイクスピア俳優で有名)を追って渡米してきた米国では無名の英国女優ヴィヴィアン・リーが獲得しました。定説で知られているリー起用のいきさつは、ヒロインが決まらないまま、南北戦争中のアトランタ爆薬庫の火災シーンを撮影している時、セルズニックの兄でオリビエの俳優エージョントでもあるマイロンが「彼女こそスカーレット・オハラだと」と紹介し、一目見て大抜擢したというものです。しかしこの話しには大きなウソが隠されているという説があります。
注:ヴィヴィアン・リー本人もスカーレット役を取りたくて、自らアメリカに来て、マイロン・セルズニックに売り込んだという説もあります。
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デビッド・セルズニック


“風説の流布”を利用した?巧妙な宣伝作戦

最初からヴィヴィアン・リーを起用しなかったのは、プロデューサー、セルズニックのしたたかな計算があったからだと考えられます。それは、リーが英国女優のためアメリカのベストセラー作品の映画化に起用するには国民的な反発があり得たこと。そしてお互い既婚者同士のリーとオリビエとの不倫がヒロイン起用の際に作品のイメージ低下を恐れたためでした。そしてもう一つの大きな理由は、最初から起用できない状況を逆手に取り、ヒロイン探しのキャンペーンを大々的に行なうことで、映画公開前の宣伝キャンペーンを効果的にはるためでした。つまりこれは、ヒロインが見つからないという“風説の流布”?を利用した、最初から筋書きが書かれた巧妙な宣伝作戦だったと推測できます。

その宣伝効果がどう現れたかと言えば、
1939年の12月15日に映画の舞台となったアトランタのグランド劇場(Loew's Grand Theatre)でワールド・プレミアが行われ大成功を収めます。驚くことに、後にこの日はアトランタの祭日となりました。そして、映画は空前の大ヒットを記録して、グランド劇場では3年間ものロングランを記録しました。
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公開当時のグランド劇場(Loew's Grand Theatre)

また、第12回アカデミー賞では13部門でノミネートされ、作品賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リ)、黒人初の助演女優賞(乳母役)、監督賞、脚色賞、カラー撮影賞、室内装置賞、編集賞の8部門を獲得しました。
さらにもう一つ、ヴィヴィアンとオリビエの不倫騒動はこの成功の影でほとんどマスコミに騒がれなくなりました。なお、2人は彼女がスカーレット・オハラ役を獲得した2年後結婚しました。

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ヴィヴィアン・リー恋人ローレンス・オリビエ

最後に、このエピソードは一般には知られていません。作り話ではありませんが、アメリカの映画研究家が故セルズニックの日記や仕事の記録を元に推測した説をもとにまとめたものです。
従って“偽計”ではありませんが、裏づけが取れているわけではありません。悪しからず!

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