音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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プロローグ
「モナリサ」、「アンフォゲッタブル」、「スターダスト」などのヒット曲で有名なアメリカの国民的歌手、ナット・キング・コールは、今から42年前に肺癌のため46歳の若さでその才能を惜しまれつつ他界しました。面白いことに、彼の音楽家としてのスタートは、歌手ではなくジャズ・ピアニストでした。では、なぜ転向したのか、また、本名はナサニエル・アダムス・コールがナット・キング・コール(以下ナット)と呼ばれるようになったのはなぜか、彼の伝記と合わせて謎を紐解いていきます。

黒人差別が強い時代に白人層に受けた歌声

ナットは1919年の3月、黒人差別が強いアメリカの南部アラバマ州モンゴメリーで生まれました。1963年に知事に就任したジョージ・ウォーレスが「今日も差別、明日も差別、永遠に差別」と公言したほどアラバマ州は有色人種に対する差別が強い地域です。また、公民権運動で著名な故マーチン・ルーサー・キング牧師はアラバマ州バーミンガム市を「米国で最悪の人種差別都市」と呼びました。そんな環境下、牧師の父親に、音楽好きな母親の四人目の子供として生まれたのです。家族は差別を嫌って、ナットが4歳の時にシカゴへ移住します。音楽才能が豊かであったナットは母からピアノレッスンを受け、敬虔なクリスチャンとして育てられました。また、幼い頃から教会の合唱隊に所属し、11歳の時には教会でピアノとオルガンを弾いていました。そして、16歳でスクールバンドRogues of Rhythmを組み音楽活動を開始します。ピアニストとしての才能は10代半ばでジャズ・ピアノ巨匠、アール・ハインズの影響を受けつつ独自のピアノスタイルを確立しつつありました(同時にタバコの習慣も受け継ぎました)。

18歳でプロとして独立し、名前をナット・キング・コールに

18歳のころプロのミュージシャンとして活躍し始めた当初は、姓のナサニエルをナットに短縮し、“ナット・コール”としてスタートしましたが、ハリウッドのSwanee Innというナイトクラブにジャズトリオで出演したとき(1938年)、当初2週間の契約が6ヶ月に伸びたほどの評判をとり、その大成功に対してベース担当のWesley Princeが冗談交じりにナットをマザーグースの童謡をもじって“Old King Cole(老コール王)”と呼び始めました。この命名がぴったりとはまって、その後彼はナット・キング・コールと呼ばれるようになりました。ナット・キング・コール・トリオはビッグバンド全盛の40年代にあって、ピアノ、ギター、ベースという小編成で、都会的で小粋な演奏を展開し人気を集めました。特にピアニストとしてのナットは、ユニークなアレンジや弾き方をして、50年代のモダンジャズに大きな影響を与えました。



ジャズ・ピアニストから国民的歌手へ

ジャズ・ピアニストとして評判がよかったナットでしたが、たまに演奏に合わせて歌うナットの歌声が演奏以上に観客を惹きつけることが多々ありました。ハスキーな声で軽く歌っているようなナットの歌声ですが、その地声は意外に大きく、隅にいる観客までも通るような明瞭な歌い方なので、従来のジャズボーカル、例えばサッチモのような歌い方とは一線を画しており、むしろ白人層に評判をとるようになりました。しかし40-50年代は、ナットのような黒人のアーティストには苦難の時代でした。黒人アーティストとしては初の番組「ナット・キング・コール・ショウ」を持ち、白人ファンが急激に増えてきたころ、それを面白くない白人至上主義者たちにステージから引きずり降ろされたり、家族で出向いた高級レストランで本人とわかりながら入店を拒否されたりしました。逆に彼の音楽が白人に受けるという理由で、黒人からは「白人に魂を売った」と非難される始末でした。
1948年に「Nature Boy」が全米NO.1ヒットになって以来、ナットの音楽活動はボーカル中心となっていきますが、もうひとつ彼がピアニストからボーカリストに転身した大きな理由として、興味深いエピソードがあります。

ナットの歌声によく似ていたオスカーピーターソン

「ナット・キング・コールを知っているだろう?実は、彼と私は、あまりにもスタイルが似ていたために、お互いに話し合って、私がピアノに専念して、ナットは歌に専念することにしたんだ、それで手打ちをしたんだ。」この話はオスカー・ピーターソン自身が残した言葉とされていますが、十分な信憑性があります。なぜならば、ピーターソンがピアノに合わせて歌う声はとてもナットによく似ており、ともにスインギーな演奏であるため、音楽的には競合したかもしれないからです。

最後に、ナットは声を低くハスキーに保つために、10代から1日あたり3パックのタバコを吸い続けました。彼が早世したのは、タバコの吸い過ぎによる肺癌ですが、それはコール節とも言える甘いハスキーボイスを維持するのに喉をつぶす必要があったと本人が語っています。しかし、肺癌に患っても彼の声は変わらず、実際に、日本公演では風邪を引いたにも関わらず、ホールに響くくらいの歌声を出したように、もともとすばらしい喉の持ち主でした。


珍しいOscar Petersonの Waltz For Debby
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