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音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

プロローグ

前回のBLOGでは、マリリン・モンローが結婚した2人の有名人、野球界のスター、ジョー・ディマジオと文壇の大物アーサー・ミラーとの恋と破局を紹介しました。今回は、さらに、国の指導者となった2名の歴史的人物との“苦い恋”を紹介いたします。

ジョン・F・ケネディ(以下JFK)が大統領に就任した1961年1月20日は、偶然にもマリリン・モンローが3番目の夫アーサー・ミラーと離婚した日でもありました。一時はJFKの45歳の誕生日にも招待されるほど親密になり、ファーストレディを夢見たマリリン・モンローでしたが、分かっているだけでも30名近い女優等の女性と浮名を流したJFKにとって、マリリン・モンローはその他大勢中の1人という存在に過ぎませんでした。

しかしながら、ジョンの妻ジャクリーンは、大統領となった夫の軽率な行動を憂い、義弟ロバート・ケネディにマリリン・モンローとの不倫問題を相談します。マリリンの方から関係を絶つように説得を試みたロバートでしたが、「ミイラ取りがミイラになる」ように、彼女に惚れてしまったから、問題が複雑になります。この予想外の展開が、皮肉にもマリリン・モンローの人生を短くするきっかけとなり、わずか36年間で生涯を閉じてしまうとは、この時誰にも判らなかったでしょう。


モンローがケネディ大統領の誕生日パーティで歌った貴重な映像。当時は秘密にされていました。酔っ払ってなかなかステージに現れないモンローから最後にJFKの登場まで映っています。
ジョン・F・ケネディとの関係

マリリン・モンローが睡眠薬の過剰摂取で死亡したのは、1962年8月5日未明です。では、いつごろからケネディ兄弟と繋がりが出来たのでしょうか?

ディマジオとの結婚が破綻している1954年頃、JFKとデートしているマリリン・モンローの姿が目撃されています。実際、JFKは35歳の上院議員のころ、持病で入院していた病室にマリリン・モンローのヌード写真を飾っているほど、彼女に関心を寄せていました。そこで、フランク・シナトラを介してマリリン・モンローと知り合ったと言われています。

さらに、JFKが大統領就任前の1960年7月に民主党の大統領候補に指名された週、実妹パトリシアの邸宅で開催されたパーティーに実弟ロバート、そして義弟ピーター・ローフォード(パトリシアの夫で俳優、ケネディ兄弟に心酔していた)、それに複数の女性に混じって乱痴気騒ぎをしているマリリン・モンローが目撃されています(FBIの監視報告より)。

マリリン・モンローは民主党の党員で、考えはJFK以上に急進的なリベラル派で、政治に強い関心を持っていました。JFKと対立するマフィアは、政治的な内容よりも失脚させるスキャンダル・ネタとして2人の会話を盗聴していました(同時期CIAも盗聴していた)。

つまり、マリリン・モンローは知らないうちに、陰謀の狭間に置かれていたのです。さらに悪いことに、兄の行動を諌める役割だったロバート・ケネディと相思相愛となり、この関係の結末が、マリリン・モンローの死の謎を深めました。


The Life And Death Of Marilyn Monroe-彼女に一生を映像で9分間でまとめたトリビュート版。ケネディ、アーサー・ミラー、ジョー・ディマジオ等、関わった男性の映像から、葬式に至るまで貴重な映像で綴られています。

ロバート・ケネディとの関係

ロバートは、仮面の夫婦と言われた兄のジョンとは違い、清廉で家庭的な男性と見られていますが、本質的な面ではケネディ家の血をつぎ、複数のハリウッド女優との交際が後日発覚しています。そのなかでマリリン・モンローだけば別格で、一説には彼女はロバートの子供を宿していたとも言われます。

ロバートも一時は真剣にマリリン・モンローのことを考えていましたが、マフィアをはじめ、ケネディ兄弟を落とし入れようとするグループの策略に気がつくと、さすがにマリリン・モンローとの関係が兄弟の弱点であることを自覚します。愛しながらも別れを決意したロバートは、義弟ローフォードを通してマリリン・モンローに別れ話を持ちかけます。しかし、過去に何度も堕胎、流産し、失うものがないマリリン・モンローにとって、彼との別れは耐え難く、半狂乱となりました。

マリリン・モンローは勉強家で政治にも関心を寄せていたので、生前、ケネディ兄弟との会話をしばしばメモしました。そして、このJFKやロバートとの会話帖を、もし別れるのならば公表すると迫ったのです。そのメモには、亡命キューバ人を訓練してカストロ政権を転覆させる策略のピッグズ湾事件などの機密事項が書かれていたと言われます。

以下推測ですが、別れのため、秘密裏に会いに来たロバートとの話し合いは不調に終わり、結果、思い余って睡眠薬を大量に摂取します。一旦はマリリン・モンローのアパートを後にしたロバートとローフォードは、夜10時過ぎマリリン・モンローからの電話で危険を察し、急いでマリリン・モンロー宅に戻ります。翌日の午前4時ごろ彼女の遺体が発見されますが、発見までの間にマリリン・モンローのノート類の遺品が行方不明となります。死亡時刻前数時間に渡る一連の出来事は、その後何度か司法の手で調査・検証されました。

真実は封印されていますが、政治生命を守ろうとしたケネディ兄弟と彼らを落としいれようとしたマフィア他の狭間で彼女は犠牲となった感があります。


映画「Bobby」(2006年作品)よりロバート・ケネディの演説シーンが、「The Sound Of Silence」をバックに映されています。
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