プロローグ
エドワード・エルガー(英国1857-1934)の代表作「威風堂々」は、春には卒業式&入学式でよく演奏されます。実際の作品は全6曲から成り立っており、一般に「威風堂々」として演奏されるのは、第1番の中間部の旋律です。このパートは時の英国王エドワード7世により絶賛され、歌詞をつけるよう勧められたため、A.C.ベンソンの詩をつけて「希望と栄光の国」というタイトルの歌曲になりました。この歌曲は、英国の第2の国歌として愛唱されるほど親しまれ、旋律の部分は日本においてもテレビCMにしばしば利用され、アニメ「あたしンち」のエンディングソングにも使われるほど誰もが1度は聞いたことがあるメロディです。
エルガー本人の指揮による「威風堂々」
作曲者エルガーは、英国中西部のソースの名前で知られているウースターの田舎町でヴァイオリンやピアノを教える一介の音楽家に過ぎませんでしたが、エルガーのピアノの生徒で、8歳年上の女性キャロラインとの結婚を機に、大作曲家の道を邁進していきます。本人も言うように、妻の内助の功により、田舎作曲者が国王より男爵の称号を得るまでに出世しました。今回は、エルガーの才能を信じ献身的に夫を支え続けた妻の功績に焦点を当てて、エルガーの生涯を追ってみます。
エドワード・エルガー(英国1857-1934)の代表作「威風堂々」は、春には卒業式&入学式でよく演奏されます。実際の作品は全6曲から成り立っており、一般に「威風堂々」として演奏されるのは、第1番の中間部の旋律です。このパートは時の英国王エドワード7世により絶賛され、歌詞をつけるよう勧められたため、A.C.ベンソンの詩をつけて「希望と栄光の国」というタイトルの歌曲になりました。この歌曲は、英国の第2の国歌として愛唱されるほど親しまれ、旋律の部分は日本においてもテレビCMにしばしば利用され、アニメ「あたしンち」のエンディングソングにも使われるほど誰もが1度は聞いたことがあるメロディです。
エルガー本人の指揮による「威風堂々」
作曲者エルガーは、英国中西部のソースの名前で知られているウースターの田舎町でヴァイオリンやピアノを教える一介の音楽家に過ぎませんでしたが、エルガーのピアノの生徒で、8歳年上の女性キャロラインとの結婚を機に、大作曲家の道を邁進していきます。本人も言うように、妻の内助の功により、田舎作曲者が国王より男爵の称号を得るまでに出世しました。今回は、エルガーの才能を信じ献身的に夫を支え続けた妻の功績に焦点を当てて、エルガーの生涯を追ってみます。
結婚に大反対された2人
エルガーの父は楽器店を営み、地元の教会のオルガン奏者でした。音楽には器用でも商才に長けた人物ではなかったので、エルガー家は金銭的に余裕がある状況ではありませんでした。息子エドワードは父の音楽的才能を譲り受けて、音楽家を志望しますが、経済的に専門的な音楽教育を受ける余裕はなく、独学で作曲法を勉強しました。音楽の素養は身についたものの、田舎町で無名の音楽家が作曲で暮らしていくことは困難で、楽器演奏を教えながら生計を立てていました。

エルガーは彼が29歳の頃に入門した生徒である女性、キャロライン・アリス・ロバーツと恋に落ちます。彼女はイギリス陸軍少将の娘で、厳格に育てられたいわばお嬢さんでした。エルガーより8歳も年上で、しかも身分の違いから、キャロラインの両親のみならず周り誰もが2人の交際を快く思いませんでした。しかし、2人は断固として愛を貫きます。キャロラインにしてみれば、40近くにしてやっと真剣に愛せる人に出会ったのに、周りの反対で諦める選択肢はなかったのです。キャロラインガ夫を必ず一人前にしたいという強い信念を持つに至ったのだろうということは、想像に難くありません。結局、2人は反対を押し切って1889年5月に結婚し、エドワードが作曲家として成功するためにという妻の助言によりロンドンに新居を構えます。

愛妻キャロライン・アリス・ロバーツ
しかし、結婚から2年経ってもエルガーは作曲家としてはなかなか認められず、収入も十分でないためロンドンから郊外の故郷に近いモールヴァンに引っ越し、再び音楽教師に逆戻りします。しかに何が幸いになるかわかりません。この引越し先が彼の作曲活動にインスピレーションを与えることになるのです。モールヴァンではすばらしい友人に恵まれ、地元の音楽出版社はエルガーを高く評価しました。そんな恵まれた環境により、妻をはじめ13人の親しい人たちのことを音楽で描写したエニグマ変奏曲(エニグマは謎の意)が誕生したのです。この作品が1899年に初演された際は大評判となり、エルガーは一躍作曲家としての名声を手に入れました。
愛妻が他界して作曲意欲を喪失
エルガーが63歳の1920年、妻が他界します。これを機に彼の作曲に対する情熱は一気に衰え、作曲家してではなく演奏家としての活動に力を注いでいきます。興味深いのは愛妻家として定評のエルガーは76歳の生涯を終えているまでの13年間の中の最後の2年間に再び恋に落ちていることです。近年の研究では、結婚以前と妻の死後にロマンスが認められています。結婚前はヘレン・ウィーバーという女流ヴァイオリニストと婚約しており、晩年はヴェラ・ホックマンという30代の子持ちの女流ヴァイオリニストと恋をしました。
”I have dreamt of you all my life...I must see you as much as possible...what lovely eyes you have.”
これは、74歳のエルガーがヴェラに送った手紙文の一部です。エルガーが晩年入院していた病院の看護婦の証言などから二人がとても親密であったのは証明されています。この時期の恋が、1度は情熱を失いかけた作曲活動に対して、再びインスピレーションを与え、晩年の作品である交響曲第3番他を書き上げる動機になったと言われています。残念ながら未完成のまま1934年2月に癌のため死去します。

Mary Lygonの肖像画
英国紳士と名高いエルガーが死の直前まで、40歳も年下の女性に恋をしていたのは、なんと素敵な人生でしょう。
追記:上記肖像画に対して「ヘレン・ウィーバーではなくMary Lygonの肖像画」というご指摘をいただきました。指摘してくれた方の御礼とともに併せて訂正させていただきます。
参考資料:エルガーと彼を巡る女性たちとの音楽
エルガーの父は楽器店を営み、地元の教会のオルガン奏者でした。音楽には器用でも商才に長けた人物ではなかったので、エルガー家は金銭的に余裕がある状況ではありませんでした。息子エドワードは父の音楽的才能を譲り受けて、音楽家を志望しますが、経済的に専門的な音楽教育を受ける余裕はなく、独学で作曲法を勉強しました。音楽の素養は身についたものの、田舎町で無名の音楽家が作曲で暮らしていくことは困難で、楽器演奏を教えながら生計を立てていました。

エルガーは彼が29歳の頃に入門した生徒である女性、キャロライン・アリス・ロバーツと恋に落ちます。彼女はイギリス陸軍少将の娘で、厳格に育てられたいわばお嬢さんでした。エルガーより8歳も年上で、しかも身分の違いから、キャロラインの両親のみならず周り誰もが2人の交際を快く思いませんでした。しかし、2人は断固として愛を貫きます。キャロラインにしてみれば、40近くにしてやっと真剣に愛せる人に出会ったのに、周りの反対で諦める選択肢はなかったのです。キャロラインガ夫を必ず一人前にしたいという強い信念を持つに至ったのだろうということは、想像に難くありません。結局、2人は反対を押し切って1889年5月に結婚し、エドワードが作曲家として成功するためにという妻の助言によりロンドンに新居を構えます。

愛妻キャロライン・アリス・ロバーツ
しかし、結婚から2年経ってもエルガーは作曲家としてはなかなか認められず、収入も十分でないためロンドンから郊外の故郷に近いモールヴァンに引っ越し、再び音楽教師に逆戻りします。しかに何が幸いになるかわかりません。この引越し先が彼の作曲活動にインスピレーションを与えることになるのです。モールヴァンではすばらしい友人に恵まれ、地元の音楽出版社はエルガーを高く評価しました。そんな恵まれた環境により、妻をはじめ13人の親しい人たちのことを音楽で描写したエニグマ変奏曲(エニグマは謎の意)が誕生したのです。この作品が1899年に初演された際は大評判となり、エルガーは一躍作曲家としての名声を手に入れました。
愛妻が他界して作曲意欲を喪失
エルガーが63歳の1920年、妻が他界します。これを機に彼の作曲に対する情熱は一気に衰え、作曲家してではなく演奏家としての活動に力を注いでいきます。興味深いのは愛妻家として定評のエルガーは76歳の生涯を終えているまでの13年間の中の最後の2年間に再び恋に落ちていることです。近年の研究では、結婚以前と妻の死後にロマンスが認められています。結婚前はヘレン・ウィーバーという女流ヴァイオリニストと婚約しており、晩年はヴェラ・ホックマンという30代の子持ちの女流ヴァイオリニストと恋をしました。
”I have dreamt of you all my life...I must see you as much as possible...what lovely eyes you have.”
これは、74歳のエルガーがヴェラに送った手紙文の一部です。エルガーが晩年入院していた病院の看護婦の証言などから二人がとても親密であったのは証明されています。この時期の恋が、1度は情熱を失いかけた作曲活動に対して、再びインスピレーションを与え、晩年の作品である交響曲第3番他を書き上げる動機になったと言われています。残念ながら未完成のまま1934年2月に癌のため死去します。

Mary Lygonの肖像画
英国紳士と名高いエルガーが死の直前まで、40歳も年下の女性に恋をしていたのは、なんと素敵な人生でしょう。
追記:上記肖像画に対して「ヘレン・ウィーバーではなくMary Lygonの肖像画」というご指摘をいただきました。指摘してくれた方の御礼とともに併せて訂正させていただきます。
参考資料:エルガーと彼を巡る女性たちとの音楽
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