音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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プロローグ

オリンピックが変わった後も熱帯夜とゲリラ豪雨が続いた2008年の夏ですが、夏といえば1981年に台東区長と伴淳三郎の発案により開始された浅草サンバカーニバルが毎年東京を熱くしてくれます。サンバ発祥の地ブラジルのリオデジャネイロで、さらに遡ること105年前の1986年に、20世紀の大指揮者が誕生するきっかけとなった出来事がありました。ドイツのフルトヴェングラーに並ぶ戦前、戦中に2大指揮者と称されたイタリアのトスカニーニは、音楽の姿勢のみならず、ファシズムに対する態度でも対極にありました。今回は、一介のチェロリストにすぎなかった学校出たての19歳の青年演奏家が、リオで一夜にして、世界の指揮者になる階段を昇り始めたエピソードです。

トスカニーニが演奏するベートーヴェン交響曲第5番-YouTubeより
美女との初デートを強制中止されトスカニーニ

89歳まで長生きしたアルトゥーロ・トスカニーニは、1867年、イタリアのパルマの小さな仕立屋の息子として生まれました。家は貧しくて食べ物に困るほどでしたが、母は躾に厳しく決して他人の食べものに手を出してはならないと教えました。母から受け継いだ厳格さは、指揮者になってからのトスカニーニの音楽姿勢にも貫かれており、彼のオーケストラに対する鬼訓練は有名です。

トスカニーニは幼いころから音楽の才能の片鱗を見せ、9歳の時にパロマ王立音楽院に入学し、“小さな天才”という渾名を得ました。1886年、19歳の時、首席で卒業したトスカニーニは、プロの音楽家としてロッシ歌劇団のリオ・デジャネイロへの演奏旅行に参加します。担当はチェロと合唱の指揮補佐でした。

さて、6月の「アイーダ」公演の日、たまたまオフが取れて、地元の美女と初デートに喜々として出かけて行ったトスカニーニは、やっと生涯の初キスを成功させたのも束の間、楽団関係者により演奏会場に有無を言わさず連れ戻されてしまいます。なぜなら、同行していた指揮者の評判が大変悪く、さらに代行の副指揮者でも収集がつかず、苦肉の策として楽員みんなの推薦もあり、「アイーダ」をすべて暗譜しているトスカニーニがにわか指揮者に仕立てあげられたのです。実は、暗譜していたのは、極度の近眼でチェロの演奏に支障をきたせないためであり、指揮するためではありませんでした。しかし、この奇策があたり、公演は大成功に終わります。ここに未来の名指揮者トスカニーニが誕生したのです。


ファシズムへの抗議を示した初演演奏会

冬季オリンピックで荒川静香が使ったプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を初演したのはトスカニーニです。当時政権を執っていたムッソリーニは1926年4月のミラノ・スカラ座における初演を、国家的行事として政治的に利用しようと目論んでいました。スカラ座は内外の国賓が多く席を埋めており、この初演が国家高揚に最適なイベントと考えたわけです。

1922年のムッソリーニ政権誕生よりファシズムと反対の立場を取っていたトスカニーニは、初演の際、終幕のある個所で突然タクトを止め、観客に向かって黙祷を捧げ、「ここまで書いてマエストロは亡くなりました。死は芸術よりも強かったのです。」と言ってさっさと幕を降ろしてしまいました。このため、「トゥーランドット」が最終幕まで初演されたのは翌日になります。実は「トゥーランドット」は完成直前にプッチーニが急死し、プッチーニが残したスケッチを元に共通の友人であったフランコ・アルファーノが完成させたものでした。

この事件をきっかけに、トスカニーニはイタリアを去ってアメリカに活動の拠点を移し、ファシズム反対を態度で示しました。加えて、ユダヤ人の音楽仲間の亡命を支援したり、「第三帝国で指揮するものはすべてナチである!」とドイツに留まって音楽活動を続けるフルトヴェングラーを強く非難したりしました。フルトヴェングラーとの関わりには後日談があり、1936年ニューヨーク・フィルハーモニーの指揮者の辞任を表明した際、政治的には反目しているものの才能は認めていたフルトヴェングラーを後任の指揮者に推薦しました。結局、フルトヴェングラーをドイツに留めておきたかったナチの策略により、この話は潰されてしまいます。

退任後カムバックした動機
トスカニーニは、ニューヨーク・フィルハーモニーを退任した後、母国イタリアに一時帰国します。ところが引退生活をじっくり味わう間もなく、熱狂的なアメリカ人によりカムバックを要求する運動がおこり、手紙が山ほどイタリアの自宅に送られてきます。では、すでに70歳近いマエストロをカムバックさせた動機はなんだったのでしょうか?

それは、NBCラジオ放送局がトスカニーニの為に新しいオーケストラを組織し、その演奏をラジオを通じて何百万人もの人々に聴いて貰おうとする企画をトスカニーニに持ち込んだからでした。NBC資本で設立されたNBC交響楽団は、一流どころを集めたエリート楽団で、トスカニーニの厳しい訓練に十分応えられるレベルにありました。

1937年12月のクリスマスの夜、スタジオ演奏されたプログラムがアメリカとカナダに向け生演奏が放送され、トスカニーニの素晴らしい生演奏を何百万人の人が共有できたのでした。


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