音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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プロローグ

夏はボサノバのサウンドが似合います。ブラジルでわずか50年前に生まれた新しい音楽が今では世界で認められた音楽の一ジャンルを確立しています。ボサノバは3人の若手ミュージシャンから原型が生まれ、JAZZと融合してあっという間に世界を席巻しました。数人の才野から生まれた新しい波―ボサノバ誕生秘話を今回は取り上げます。
下記のYouTubeはいぱジョビン(写真)とジルベルトが再結成して「イパネマの娘」を歌った貴重ばライブ

Girl from Ipanema Tom Jobim and Joao Gilberto Reunited
ボサノバの誕生前夜

ボサノバ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン(以下ジョビン)、イパネマの娘を大ヒットさせた歌手でギタリストのジョアン・ジルベルト(以下ジルベルト)、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライス(イパネマの娘の作詞家)らが挙げられます。
変わり者のジルベルトは幾日も姉の家に居候し、そこでギターを持ってバスルームに何日もこもり、試行錯誤の末、新しいギター奏法バチーダ(ビート)を編み出します。一方、金持ちの娘ナラ・レオン(歌手)のコパカバーナの豪邸マンションに毎夜集まったミュージシャンたちは、ジョビンのギター奏法を聴いて、新しい音楽の到来を予感します。1958年、モライスが作詞、ジョビンが作曲した「シェガ・ジ・サウダージ(英題ノーモア・ブルース)は、ジョアンの歌とジョビンのギターで最初のボサノバ音楽として発表されます。抑制されたメロディーとつぶやくように歌われるこの新しい音楽は、最初一部の裕福な若者にしか受け入れられませんでしたが、サンバなどの従来のブラジル音楽に飽き足らなかった若者たちの心を捉え、やがてブラジルでニューミュージック(ボサノバは“新しい波”の意味)として大ヒットします。

ジョビンのシェガ・ジ・サウダージライブ演奏 Joao Gilberto and Antonio Carlos Jobim


ボサノバブームとJAZZとの融合

1959年ブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」で全編多くのボサノバが使われ、世界中にブームを巻き起こします。リオのカーニヴァルを舞台にした本作品は、ギリシャ神話をベースにした悲恋物語で、作品としてもカンヌ映画祭グランプリの佳作ですが、なによりもここで使われた強烈なサンバのリズムとジョビンが担当したボサノバの音楽が旨く噛み合い、音楽映画の色合いを見せています。ボサノバはこの映画の公開を機に、ヨーロッパ、そして北米へブームを起こしていきます。
テナーサックス奏者のスタン・ゲッツは中南米ツアーでボサノバに興味を持ち、チャーリー・バートと組んで1962年に「ジャズ・サンバ」を録音します。これ予想を超えてヒットし、気をよくしたゲッツは同年、ジルベルトと共演したがアルバム「ゲッツ/ジルベルト」を制作。特にこの中でジルベルトの当時の妻アストラッドが英語詞で歌った1曲目の「イパネマの娘」が爆発的なヒットを記録し、グラミー賞も獲得してボサノバは一躍世界中で人気となります。

映画「黒いオルフェ」よりフェリシダージ(悲しみよさようなら)


イパネマの娘の秘密

ボサノバ史上最大のヒットとなったアルバム「ゲッツ/ジルベルト」は、純粋なボサノバ愛好者から批判的な目で見られることがしばしばあります。例えば、アルバムのプロデューサーは、ジルベルトの若い美人妻アストラッドの商業的価値を計算し、宣伝効果を狙って素人同然の彼女をヴォーカルに起用。しかも夫ジョアンのポルトガル語歌唱部分をシングル版に収まらないという理由でカットし、英語版「イパネマの娘」を発売しました。さらに、スタンゲッツのアルバムという位置づけから、抑揚のないボサノバの特徴とする唄い方を考慮せず、ゲッツのテナー音をやたら大きくフィーチャーし、ジルベルトやジョビンの演奏とのバランスを欠いた録音をしています。彼らにとって、ゲッツのボサノバ理解は十分なものではなく、またゲッツ特有の傲慢さから、レコーディング中は心証を害したとも伝えられています。一方アストラッドは「イパネマの娘」のヒットによってアメリカで人気歌手となり、ジョアンと程なく離婚してしまいます。

珍しいアストラッドのミュージックビデオ"Stan Getz & Astrud Gilberto - The Girl from Ipanema"

もう一つ「イパネマの娘」のモデルとなった人物を紹介します。モデル説は、美人なボサノバの歌姫アストラッド・ジルベルトであると勘違いされましたが、それは本人も否定しています。当時、ジョビンやモライスらボサノバ・ミュージシャン達は、リオのイパネマ海岸にあったバー「ヴェローゾ」にたむろしていました。このバーの近所に住む少女エロイーザ(当時15歳)が、バーに母親のタバコを買いによく訪れていました。彼女は170cmの長身でスタイルが良く、近所でも有名な美少女でした。エロイーザの歩く姿に目を付け、そこからインスピレーションを得て、「イパネマの娘」を作ったと言われています。面白いことにその後このモデルとなった女性は「イパネマの娘」という名のバーを開いています。


アントニオ・カルロス・ジョビンの功績

最後にジョビンはボサノバの創始者の一人として、また、作曲家、ギター奏者、ピアニストとしてアメリカとブラジルを何度も往復し、ボサノバ音楽の商業的成功に多大な貢献をしました。 それは取りも直さず、ブラジルに多額な外貨をもたらしました。ビートルズと同様、音楽がブラジルの輸出品として、ブラジル経済に貢献した度合いは計り知れません。1994年12月8日、ニューヨークで死去した際には、祖国ブラジルでは大統領令により、国中が三日間喪に服すこととなりました。

映画「黒いオルフェ」よりオルフェのサンバ
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