音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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フィル・スペクター


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プロローグ
フィル・スペクターのサウンドに最初に触れたのはビートルズの「Let it be」です。しかし、その時は彼のサウンドを意識せず、私なりの再発見は81年に日本で大ヒットした大滝詠一のアルバム「A Long Vacation」のサウンドの系譜に興味を持ってからです。当時は六本木のKento'sやLollipopに週末通い、オールディーズを生演奏で聴いていましたが、演奏されるなかで一番のお気に入りは「Be My Baby」でした。この曲だけは、他のオールディーズとは異なり、オールド・ファション・ソングの古さを感じない、新鮮さを放っていました。その理由が後に理解できましたが、Phil Spectorのアレンジによるマジックでした。


今でも新しい「Be my baby」


いまだにFM番組やテレビ番組でよく使われる「Be my baby」のヒット曲で有名な女性3人組のボーカルグループ、ロネッツ。彼女らの生みの親ともいえるフィル・スペクター(1940年ニューヨーク、ブロンクス生まれ)は、独特のサウンドで一世を風靡した音楽プロデューサーで、その影響は幅広くビートルズにまで、その遺伝子を残しています。

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オールディーズをお好きなかたには、クリスタルズ、ライチャス・ブラザーズ、そしてロネッツなど50~60年代の人気アーティストは馴染み深いものがあるでしょうが、その彼らをプロデュースしたのがフィル・スペクターでした。それ以外にもティナ・ターナー、ビートルズ、そして解散後のジョン・レノンやジョージ・ハリソンのレコードクレジットにはフィルの名前が多く見られます。フィルは当時アレンジャー兼アーティストといわれた音楽プロデューサーの役割を、映画における最終編集権を持つディレクターのような地位にまで高めました。いわゆる「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた重厚なバック演奏、例えば、ギターを何台も使って音に厚みを増したり、ピアノを高音と低音に分けて演奏したり、パーカッションに特色を持たせて深みを出したり、現在のデジタル多重録音ではあたり前の手法を30年前のアナログ/モノラルの時代に気の遠くなるような手作業で作りだしました。そのような点で今日、フィル・スペクターの影響を受けていないミュージシャンを探すのが難しいくらいです。ブルース・スプリングスティーンも作品の中に「ウォール・オブ・サウンド」をストレートにコピーしたものがあります。また、日本では大瀧詠一のようにステレオでフィルのアレンジの世界を再現しようと試みているミュージシャンや、山下達郎のようにバックコーラスや楽器一つ一つまで多重録音でミックスダウンして音の厚みを生みだしているという例にもフィルの影響が見られます。


音楽プロデューサーとして再出発


ハーヴェイ・フィリップス・スペクター(彼は自分の本名を嫌い、フィルを自称した。)は、身長が160センチ位、長い鼻に大きな耳を持つ小男で、自分の容姿に強いコンプレックスを持っていました。感受性が強く神経質で気まぐれ、しかも独占欲の強いこの青年は、一方で豊かな音楽の才能に恵まれていました。16歳のとき「To know him is to love him」というセンチメンタルな曲を書き、自ら作ったバンド“テディ・ベアーズ”(名前の由来はプレスリーのヒット曲‘テディ・ベア’からである。)で58年にこれをNo.1ヒットさせます。しかし、フィルの狙いはバンドによる演奏ではなく、自分が作りだしたサウンドを再現することにありました。テディ・ベアーズを解散したフィルは、59年にはプロデューサーとして1枚あたり1.5セントの収入で当時ハリウッドで著名な音楽プロモーター、レスター・シル(後にフィルとレーベル「フィリス」を設立する。)と契約します。こうしてフィルはプロデューサーの第1歩を踏み出しました。


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あとにフィルの2番目の夫人となったロニー・ベネット(ロネッツの写真の手前の女性。結婚後はロニー・スペクターを名乗る。彼女は最近日本で大瀧詠一や松田聖子のカバーを集めた企画CDに参加して歌っている。)をリードボーカルに結成されたロネッツは、フィルと契約してから1年後の1963年8月にジェフ・バリー=エリー・グリニッチ作(クレジットにはフィルの名も載っている)による‘Be my baby’をリリースします。この時フィルがこの曲に賭ける意気込みはすさまじかったようです。4時間のセッションが過ぎてもまだレコーディングはせず、何度やり直してもフィルは楽譜を破り再度のセッションを要求しました。アコースティックギター、ピアノ、ドラム、ホーン、そしてヴォーカルの取り直しを繰り返し、やっと42回目の演奏でフィルの満足した表情が得られました。その後楽器やバックヴォーカルのオーバーダビングを何度も行い、ややこもり気味なエコーがかった独特なスペクターサウンドを創り出しました。とりわけ、フラットだけれど少しビブラートしたロニーの歌声は、「ウォッ、オッ、オッ、オー」の部分だけでも十分にわれわれに魅力的ですが、彼女の声にもっとも魅了されたのは他ならぬフィルでした。その後フィルは最初の妻アネットと別れ、ロニーと再婚します。しかし、その後結果的にはフィルが原因で別れてしまいます。


ビートルズとの親交


1964年イギリスに渡ったフィルはビートルズと親交を深めます。ビートルズのメンバーはTV番組、エド・サリヴァン・ショウに出演するためにアメリカへ初旅行するとき、非常に不安であったためフィルに一緒にニューヨークまで行くよう依頼します。この時の模様を回想してフィルは「ビートルズは飛行機から降りるのを死ぬほど怖がっていた。アメリカを本当に恐れていたんだ。(中略)彼らを殺そうという人間が紛れているんじゃないかと真面目に心配していた。」と語っています。結果はご存知の通り、ビートルズは大観衆に迎えられ成功の切符を手にいれます。その時フィルはトレードマークともいうべきサングラスに加え帽子をかぶり、彼らの背後で人知れず新しいロックミュージックの時代の到来を見つめていました。

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最後にフィルの音楽創りに関する興味深いことばを紹介します。「曲作りはワーグナーの歌劇のように構築されていく。最初はシンプルだけど最後にダイナミックな力と意図と目的を持ったものになる。(中略) ぼくはレコード業界を少し変えようと考えている。つまり、普遍的なサウンドを創造しようと思うんだ。」 フィルは、子どもがそのまま大人になったような人物でしたが、その音楽はとても完成されていて現在のミュージックシーンに深く息づいています。次のBLOGで、やはり普遍的なミュージシャン“ビートルズ”に関するエピソードをフィル・スペクターとのつながりを中心に紹介しています。


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コメント

私はリンダマッカートニーの存在知ったのはビートルズマニアの息子からだった 面白いですね リアルタイムの私が リアルタイムでない息子から教えられるなんて リンダはじめてみた時は なんて 聡明で 知的なんだろうと 品格といい申し分ない
なんか私には魅力的に移った なんかチャーミングで しぐさがハンパの魅力じゃない 金髪なんだけどどこか 日本人感じさせる とにかくすてきなひとだ 死んだ人生き返らせるとすると リンダ
2008/01/08(火) 13:04:28 | URL | 桃子 #-[ 編集]

フィルスー゜クターの 存在知ったのは ジョンノビデオ 見てからだった そして驚いたのが あの有名
な ビーマイベイビの生みの親とは あんなすばらしい曲作る人なのに  殺人犯したなんて今でも
信じられない ポールのレットイットビーも あの人がいなかったら 存在しなかったであろう ただ残念なのはポールが とても毛嫌いしていた人だった
今思えば ポールって本当に見る目があったんだなぁと感心します 
2008/01/08(火) 12:49:23 | URL | 桃子 #-[ 編集]
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