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音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

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いわゆるアコースティックではない、電気的に音を発生させる最初の電子楽器は1920年ごろにロシアの物理学者レフ・テルミン教授によって発明されたテルミンです。テルミンは楽器そのものに触れることなく、アンテナの静電容量を手で遮ることによって音を調整し演奏する楽器というより機械でした。


テルミンによるサンサースの白鳥の演奏 必聴の価値あり

シンセサイザーの生みの親であるRobert Moog(以下モーグ博士)は、1954年にテルミン楽器一式を販売する目的でR.A. Moog社を設立しました。このテルミンキットは1961年から1963年の間に1000台近く販売されましたが、操作性が悪く、演奏できる人がごく限られていましたので、モーグ博士はより楽器に近い電子楽器の開発に着手します。1960年代に入るとトランジスターの出現があり、1965年にモーグ博士は、ICを用いて必要な機能回路を組み立て、ピアノのように鍵盤を使い、誰でも演奏できる機器を発明しました。彼の作ったモーグ・シンセサイザー(アナログ式)は、今日のシンセサイザーの基本になったものです。

モーグ・シンセサイザーを世界で始めて商業的に利用したのは、1967年発表のモンキーズのアルバム「スター・コレクター」です。ビートルズもアルバム「アビイ・ロード」で使っていますが、本格的に利用して、シンセサイザーの可能性を世界に知らしめたのは性同一症障害を持つミュージシャンでした。
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アルト・サックス奏者の巨人チャーリー・パーカー(1920-1955)。独学で音楽を勉強しながら、若干15歳でプロデビュー、1940年代にはビ・バップジャズの黄金時代を築きます。即興演奏に主眼を置き、和製とリズムに於いて革新的な演奏スタイルはその後のモダンジャズに多大な影響をもたらしました。

しかしながら、パーカーの生き方は破滅型とも言えるスタイルで、麻薬、酒、女性関係、すべてに対して節操がなく、自らの命を縮めました。医師の死亡報告書には推定年齢が65歳と記入されましたが、享年34歳の若さでした。

このような破滅型人生を歩んだパーカーでしたが、晩年の数年間、平穏に過ごした時期があります。既に酒とドラッグに体は蝕まれ、精神的にも病んでいましたが、愛情を注げる妻とその連れ子が存在したからです。今回は最後の妻となった美しくき女性チャン・パーカーのお話です。

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前回のBLOGでは、マリリン・モンローが結婚した2人の有名人、野球界のスター、ジョー・ディマジオと文壇の大物アーサー・ミラーとの恋と破局を紹介しました。今回は、さらに、国の指導者となった2名の歴史的人物との“苦い恋”を紹介いたします。

ジョン・F・ケネディ(以下JFK)が大統領に就任した1961年1月20日は、偶然にもマリリン・モンローが3番目の夫アーサー・ミラーと離婚した日でもありました。一時はJFKの45歳の誕生日にも招待されるほど親密になり、ファーストレディを夢見たマリリン・モンローでしたが、分かっているだけでも30名近い女優等の女性と浮名を流したJFKにとって、マリリン・モンローはその他大勢中の1人という存在に過ぎませんでした。

しかしながら、ジョンの妻ジャクリーンは、大統領となった夫の軽率な行動を憂い、義弟ロバート・ケネディにマリリン・モンローとの不倫問題を相談します。マリリンの方から関係を絶つように説得を試みたロバートでしたが、「ミイラ取りがミイラになる」ように、彼女に惚れてしまったから、問題が複雑になります。この予想外の展開が、皮肉にもマリリン・モンローの人生を短くするきっかけとなり、わずか36年間で生涯を閉じてしまうとは、この時誰にも判らなかったでしょう。


モンローがケネディ大統領の誕生日パーティで歌った貴重な映像。当時は秘密にされていました。酔っ払ってなかなかステージに現れないモンローから最後にJFKの登場まで映っています。
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1950年代から60年代にかけて、米国は古き良き時代と呼ばれる一方、1950年代前半に吹き荒れた赤狩りや1962年のキューバ危機、翌年のケネディ暗殺と暗い一面もありました。この時代に、世界中の男たちを虜にする稀有なオーラを持った女優が、彗星のように現れ、大統領以上の知名度を持ちながら、若干36歳の若さで謎の死を遂げます。8月5日に命日を迎えるマリリン・モンロー(1926 -1962、以下MM)は、世界中の男性ファンを魅了しただけでなく、彼女と出会った多くの男性を虜にする不思議な魔力を備えていました。映画のイメージとは違い、狡猾といえるほどの野心と知性に溢れ、読書家で政治好き、その一方、生涯孤独感を抱え続け、晩年は精神病に悩まされ、ドラッグ(主に睡眠薬)と酒に溺れました。また、MMは美しい肉体美を備えながら、精神的には生い立ちに起因する苦悩から逃れることが出来ず、その脆さが権力ある男たちを虜にしました。今回は、MMの数々の男性遍歴の中で、彼女を愛した著名な男性を軸に、マリリン・モンローの人生とも言える「生きた、愛した、苦悩した」を検証してみます。


マリリン・モンロー主演映画「お熱いのがお好き」で歌われる中でも白眉の「I'm Through With Love」が収録されたビデオクリップ
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先ごろ公開された映画「エディット・ピアフ-愛の讃歌-」により、シャンソンが久しぶりに見直しされています。フランスの国民的歌手であるエディット・ピアフ(1915年- 1963年、ピアフは芸名-小雀の意味)は、47年の短い生涯を精一杯に愛し、歌い、生きた女性として、現在もフランス人の心の中に記憶されています。フランスでは何度か彼女の伝記映画が製作されましたが、ピアフの大ヒット曲にまつわるいくつかの恋愛物語が必ずストーリーの中核となっています。

ピアフが赤ん坊のころ、母親は失踪、父は戦場に赴き、売春宿を営む祖母に預けられました。ミルク代わりにワインを飲ませたためか、幼い時に1度失明寸前に陥っています。また、子供のころの栄養失調のせいか、成人しても身長はわずか142cm、グラマーでも泣く、決して美人顔でもありません。しかし、ピアフは多くの男性を虜にしていきます。今回は、ピアフの恋愛小説を少し紐解いてみます。

今回はYouTubeをフルに使ったBLOGにしました。文中紹介している名曲や紹介人物を映像で見ることができます。


名曲「ばら色の人生」にのって若いころから晩年までピアフの写真集が紹介されます。また親友のマリーネ・ディートリッヒや最後の夫となった20歳年下テオ・サラポも出ています。
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2006年は年始から、ライブドアの粉飾決算疑惑や村上ファンドのインサイダー取引、そしてマンションの姉歯構造計算偽装と「ウソ」が世の中を席巻しました。ウソにも程度様々ありますが、害のあるウソ、害のないウソ、時と状況により人々を不幸にもすれば幸福にもします。

今も映画ベスト10に入る名画「風と共に去りぬ」は、ハリウッドでありがちな宣伝方法をとりながら、巧妙なプロモーションスタイルで誰も傷つけず偽装を成功させた知られざるエピソードがあります。一部の映画関係者で語られた内容ですが、その話しには真実味があります。そんな雑誌にも載っていない、ハリウッドの偽装プロモーションを紹介します。

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Vivien Leigh
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2006年6月末でビートルズの日本公演からちょうど40年経ち、WOWOWでも特集を組んでいました。また、ビートルズのリーダー的存在であったジョン・レノン(1940~80)がニューヨークの自宅のダコタ・ハウス前でマーク・チャップマンに至近距離から5発の銃弾を受けて他界したのは40歳のときでした。「ジョン」という名前は、成礼名のヨハネのことで、欧米では最もポピュラーな名前です。ここにもうひとり40歳で他界した偉大なミュージシャンがいます。ジャズ界の巨星ジョン・コルトレーン(1926~1967)は、若いころの不摂生が災いし、肝臓ガンのために病死します。肌の色も境遇も全く違うこの2人のジョンは奇しくも意外な共通点が多々見受けられます。

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ジョン・レノン(1940~80)
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ジャズ界の巨星ジョン・コルトレーン

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バロックの父バッハは生前ほとんど無名な音楽家でしたが、死後79年後にメンデルスゾーンに発見されたことにより、その名と作品が世間に知られるようになりました。科学の世界でも同様な埋もれた天才が多数いますが、とりわけ現代の携帯電話の基礎技術とも言うべき無線通信の基本原理を発明しながら、発明後50年経ってようやく法的に発明者と認められ、その後今日に至るまで発明者としてあまり認知されない大発明家がいました。

今年(2006年)、生誕150年を迎えて脚光を浴び始めましたが、当時はエジソン以上と言われた天才発明家ながら、その行動が原因でマッド・サイエンシストと呼ばれ、その能力が実績ほど認められませんでした。今回はクロアチア生まれの鬼才ニコラ・テスラの大発明と苦難の生涯を追ってみました。
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女性にもてた若いころのニコラ・テスラ
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現代の食卓がいかに添加物に依存しているかご存知でしょうか。例えば、コンビニでサンドイッチを買って食べれば、それだけで十数種類もの化学添加物を一度に摂取することになります。添加物は食物を腐らないように長期保存したり、味を良くしたり大変便利な素材ですが、一方、因果関係は断定できないものの、添加物の持つ毒性により、アトピー性皮膚炎やアレルギー性鼻炎等を引き起こしたり、現代人に多く見られる「切れやすい性格」の一因とも言われています。

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例えば、今日市販されるワインは口当たりが良く、飲みやすいものですが、昔のワインは必ずしも飲みやすいとは限りませんでした。古代ローマの医者の記録によるとワインは「酸っぱいもので、体を温める効果があり、血行をよくする」とあります。この酸味のきついワインを甘く、美味しく変化させたのが鉛でした。鉛のワインカップに酸っぱいワインを入れ弱火で暖めると、鉛は酸味の強いワインの中に溶け込み、わずかな甘みを生み出します。こうして飲みにくいワインに鉛という“添加物”が加えられた結果、多くの人々が慢性の鉛中毒になり、様々な症状に苦しみました。中毒症状の例をあげると、腹部の慢性的な不快感や痛み、吐き気等で、ひどい場合は知的障害を引き起こすことすらありました。
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少し古い話題ですが、今年のトリノ開催の冬季五輪の女子フィギュアで金メダルを獲得した荒川静香がフリーで使用した美しい音楽でオペラ人気がにわかに高まりました。使われた曲はオペラ「トゥーランドット」からのアリアで、伝説時代の北京を舞台にしたトゥーランドット姫の話です。ステージで使用された演奏は、美人ヴァイオリニストのバネッサ・メイが奏でた「誰も寝てはならぬ」で、オリジナルは男性テノールのアリアです。歌のタイトルとは裏腹にアルトゥーロ・トスカニーニ指揮による初演の際に作曲家自身が永眠してしまい、未完のオペラになりました(なお、残りの部分はプッチーニの23ページにわたるスケッチを参考に弟子が後日完成させました)。

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バネッサ・メイ

さて、イタリアン・オペラのディーバ(歌姫)と言えば、いまだに故マリア・カラス(1923-77)があげられます。彼女の主演作品のほとんどがそのオペラのベスト盤と言われ、その独特の声のみならず、波乱万丈な人生が人々の記憶に残っています。今回はマリア・カラスの知られざる一面を紹介します。
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Maria Callasのアルバムより
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