FC2ブログ

音楽の冗談

音楽、美術、映画、演劇、文学などの有名アーティストや、偉大な才能を持つ無名なアーティストたちに焦点を当て、彼らの業績や人生を一風違った視点で掘り下げます。

2つの“雨に唄えば”


fred_astaire.jpg


プロローグ
10代の半ばの頃、銀座の映画館で「ザッツ・エンターテイメント」を観たときは。こんな優雅な映画が嘗てはあったのだといたく感動しました。当時はお金をかけたスペクタル映画が多く、古きよきアメリカ映画はTV番組でたまに見ていましたが、ミュージカルはほとんど放映されていませんでした。年老いたフレッド・アステアがホストとして登場して、最初は何者か?と思って見ていましたが、映画を見た後に、彼が俳優であると同時に偉大なシンガーであることを知り、それ以降往年の名スターが歌うミュージカルのサントラ盤に夢中になりました。


Thats_entertain.jpg



続きを読む
ユル・ブリンナーと「王様と私


プロローグ

このBLOGの前の「Shall we Dance?アンナと王様」で原作の歴史的背景をかいつまんで紹介しましたが、続いてテーマ曲の元となった「王様と私」を取り上げてみます。日本でも人気が高かった故ユル・ブリンナーは、「王様と私」より「荒野の7人」の方が有名かもしれません。おそらく日本ではアメリカ映画の出演がほとんどのためアメリカ人と見られているかもしれませんが、アジアからヨーロッパ、そしてアメリカに渡った彼の人生は波乱に富んで、とてもインターナショナルです。

yul_king_movie.jpg


続きを読む
Shall We ダンス?-アンナと王様

プロローグ
周防正行監督の「Shall We ダンス?」のハリウッド版リメイク作品が昨年公開(2004年度作品)されました。未見なので、10月14日のDVDのレンタル開始が楽しみの作品です。人気俳優リチャードギアとジェニファー・ロペス主演もさることながら、オリジナルのストーリーと対比できるキャスティングや多少ニュアンスの違うエンディングに興味がわきます。さて、このタイトルとなった名曲、周防監督版では大貫妙子がさらっと歌っていましたが、元は有名なミュージカル「王様と私」主題曲。

20050927215154.jpg

「オクラホマ!」「回転木馬」「サウンド・オブ・ミュージック」「南太平洋」の名コンビ-ロジャース&ハマースタインII世による1951年初演のミュージカルで、1952年度トニー賞では、作品賞・女優賞・男優賞・衣裳賞・装置賞の計5部門を受賞しています。ロジャース&ハマースタインは大好きな作曲・作詞家のコンビですが、今回は音楽ではなく、少しこのストーリーの土台となった小説と史実を調べてみました。
20050927214908.jpg


続きを読む
プロローグ


個人的に好きなサントラ盤で『パリの恋人』(Funny face)があります。ガーシュインの名曲がちりばめられた選曲も魅力ですが、オードリー・ヘップバーンの歌もなかなか味があります。
オードリー・ヘップバーンの歌声は映画『ティファニーで朝食を』で見せた“ムーンリバー”からもわかるように鼻にかかった線の細い歌声です。しかし愛嬌があり、決して聞き苦しくありません。プロのような音域や声量を持っているわけでなく、映画で披露するには実力不足は明らかですが、何故か彼女は自ら生涯3度映画で歌をチャレンジしています。

Audrey_gigi_face.jpg


続きを読む
「オペラ座の怪人」


phantom.jpg



プロローグ


新婚旅行で訪れたロンドンのウエストエンドで初めて「オペラ座の怪人」を鑑賞しました。そのときは客席が2階後方斜めの位置であり時差ぼけも加わり、音楽の素晴らしさやストーリーの面白さに浸ることができませんでした。帰国後あらためて家内と劇団四季の「オペラ座」を観て、初めてその素晴らしさに触れることができました。以来10数年経ちますが、このミュージカルの素晴らしさは衰えていません。
一方、四季の会報に紹介される作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの記事を斜め読んでいると彼の別の一面に気がつきました。今回は音楽家ではなく、ビジネスマンとしてのウェバーに焦点を当てました。


続きを読む
もう1人のモーツァルト


20050224225346.jpg



プロローグ


モーツァルトは妻コンスタンツェとの間に、結婚10年弱で6人もの子供を授かっていますが、内4人が生後まもなく死去しています。
あれほどの才能を持った人物の末裔が続いていれば、バッハの家系のように一族からもう一人の天才が出ただろうと考てしまいます。モーツァルトの生き残った子供たちのことは歴史上あまり語られませんが、調べると意外な生涯がわかって驚きました。個人的には、歴史に「もし」があれば、当時のプリマ・ドンナであったコンスタンツェの姉アイロジーナと結婚していたら、もう一人の天才モーツァルトが現れたかもしれないと期待してしまいます。


続きを読む
フランク・シナトラの"MY WAY"



20050220113924.jpg


プロローグ


フランク・シナトラがサインを求めてきたファンに対しても、機嫌が悪いときは暴力を振るったという彼のボディガードの手記を読んだとき、私の前の会社の上司(社長)を思い出しました。前上司は暴力を振るうような人間ではありませんが、自分自身の名声を上げるために腐心して、会社の業務はほとんどしませんでした。雇われ社長であったため、4年ほどで“自己都合”の理由で解首されましたが、4年も居座ったお陰で、社内でまともな管理職の多くは会社を去っていました。業界でも名の通った人物で、優秀な経営者と見られていましたが、内ちから見た顔はまったく違い、自己保身と名声ばかりに気を取られていたようです。人は見かけに拠らないとは、よく言ったものですが、名声を得た人はそれを守る余り間違いを起こすものでしょうか?しかし、彼の場合は、その前の前の会社から変わっていないと聴いていましたが。



続きを読む
Crazy for ガーシュイン !


20050215235311.jpg


プロローグ

ジョージ・ガーシュインの音楽は、一度ハマってしまうと、旋律を少し聴いただけで鳥肌が立つほど聞き入ってしまいます。最初に魅せられたのはミュージカル映画「パリのアメリカ人」のフィナーレのバレーシーンに流れるオーケストラでした。その後オードリー・ヘップバーン主演の「パリの恋人」で歌われた数々の名曲でスタンダードに馴染み、フレッド・アステアの軽妙の歌に始まり、エラ・フィッツゲラルドのJAZZ盤までガーシュインソングを堪能しました。

劇団四季で日本発公演された「クレージー・フォー・ユー」の舞台と観た時、改めて音楽性のみならず、兄アイラ・ガーシュインの歌詞の旨さに驚きました。特にブロードウェーのオリジナルキャストのCDを手に入れたときは、韻を踏む洒落た歌詞の言葉遊びには、正直感服し、歌としてのレベルの高さを知りました。ガーシュイン兄弟は、才能の面では確かに天才肌ですが、ものづくりの上では職人肌の旨さを持ち合わせています。そんなガーシュイン・ミュージックの背景を知ると、音楽が生まれた必然性が少しわかると思います。


続きを読む
小津安二郎の映像美



20050208225546.jpg



プロローグ

中学から高校生の頃、池袋や飯田橋、高田馬場など2本立てで入館料400円の名画座に3日に1度は通い、もっぱら洋画ばかり鑑賞しました。年100本ほどの映画は米国のみならず、仏蘭西、英国、独逸(漢字で書いた方がこのときの雰囲気に合います)の名作をキネマ旬報を頼りに漁るように観ていました。しかし、大学に入って邦画も見るようになり、黒澤を手始めに、溝口や小津の作品に触れるに従い、映画の見方もかなり変わっていきました。特に小津作品は日本美を初めて感じた日本映画で、当時夢中になったフェリーニとは、テイストもテーマもまったく違うにもかかわらず、大好きな監督となりました。小津独特の映像美のひとつにローアングルは有名ですが、カラー作品における色彩の妙は、彼のこだわりと美学を感じました。今でも洋画を観過ぎて食傷気味のときは、小津のLD(レーザーディスク)コレクション)を引っ張り出して、トーキーの代表作を再度鑑賞します。(小津監督は無声映画から活躍していたため、無声映画時代の名作も少なくありませんが、トーキー後もモノクロ作品、カラー作品とも多くの傑作を生んでいます。)

続きを読む
ビートルズとフィル・スペクター


20050206114819.gif



プロローグ
私はビートルズの解散後の世代ですが、やはり学生のころ一時ビートルズにハマりました。Let it beは何といってもメロディが素晴らしく、60年代の彼らの音楽とも一味違い、シュアーのカートリッジによる2チャンネルサウンドでアルバムを繰り返し聴いていました。しかし、「The long and widing road」の出だしにおいて、ポールのボーカルが突屈に始まるのには違和感を覚えていました。しかも、ポールはこのテイクを嫌っているという話も聞き、なぜこんば美しいバラードをと不思議に思っていました。フィル・スペクターのアレンジにより、解散の危機から1度は死にかけたアルバムが復活した裏話は後になって知りましたが、自分の音楽テイストがこのとき既にフィル・スペクター・サウンドにあったことは後ほど驚きました。


続きを読む